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「小山ゆうえんち~」という鉄板ギャグや、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)でのワニとの死闘といった、昭和生まれの脳裏にこびりついたお笑いエピソードの持ち主である、コメディアンの桜金造さん(68)。(※中略)
■ひょんなことから芸能人になった桜金造
関根勤や小堺一機など、お笑い界のレジェンドたちを排出した伝説のバラエティ番組『ぎんざNOW!』(TBS系)に素人として出演したのが芸能界のキャリアの始まりだ。
同番組で結成されたグループ「ハンダース」や、アゴ勇とのコンビ「アゴ&キンゾー」でお笑いキャリアを重ねた後、俳優としても活躍。(※中略)
杖をつき、ヘルパーの女性に歩行の介助をされながら、待ち合わせの場所に現れた桜さん。
「生きてますよ。ええ、なんとかそれなりに生きています。
1級障害者なんですよ。柔道だったら、もうすぐ初段、黒帯です。すごいですよね。黒帯に限りなく近い障害者ですから、ヘルパーさんがいないと移動ができないんです」(桜さん、以下同)
確かに動きはぎこちないが、語り口はなめらかだ。
「今日は、私の芸能デビューのきっかけを聞きたいんですよね?
1975年ですね。高校3年生、18歳のときにね、受験が近いということで、両親が腕時計を買ってくれたんですよ。
で、その腕時計をなくしてしまいましてね。しかも親父が“受験がんばれよ”と、張り切って買ってくれた、いい物だったんですよ。(※中略)
さあどうしたものかと思っていたら、当時やっていた『ぎんざNOW!』(TBS系)という番組に、『しろうとコメディアン道場』という素人参加型のコーナーがあって。そこに出るだけでね、参加賞として高級腕時計がペアでもらえる…と知ったんです。
これはいい、ということで、自分ではがきを書いて応募しました。そうしたら、ちょうど出る人があんまりいなかったようで、すんなり出ることができたんです。
私としては参加賞の腕時計をもらえたらそれで終わり、のつもりですから、まともにおもしろいこと、ネタなんか考えていなかったんですよね。
それが、私が出たときのチャンピオンのネタが、これがまたつまらなかったんです。
どっちが面白いかじゃなくて、どっちがよりつまんないかという戦いになって、私が勝ったわけですね。
じゃあこれでいいやと思ったんですけど、一応私が勝ったから、『チャンピオンになったんだから、次も来てくれなきゃ困るよ』っていわれまして。
とはいえやっぱりあの当時、テレビに出られたのって嬉しいじゃないですか。受験生っていったって、実際はまともに勉強をしていなかったし、大学なんて親に行けって言われただけで、入れなきゃそれでいいって思ってましたから、出続けちゃったんですよね。
結果、5週連続で勝ち抜いてしまいまして。5週勝ち抜くと、その番組のレギュラーになれるっていうシステムでね。嬉しくって、ますます受験なんてどうでもよくなってしまいました」(※中略)
■自身を振り返り「もうほんと、生意気だった」
「1個でよかった腕時計は10個になるし、当時の渡辺プロダクション、今のワタナベエンターテインメントにスカウトもされたんです。(※中略)
で、それから38年経って、56歳のときですかね。
風呂で倒れて。で、今日に至るんですけども。私もこんな風になると思ってませんでしたね」
2013年2月、脳内出血を起こし自宅の浴室で倒れた。
病院で右側頭部血腫の除去手術を受け、なんとか死の淵からは這い上がったものの、今だに左半身には麻痺が残っている。
「先日、中山美穂さんがお亡くなりになりましたね。お風呂場で、54歳と聞きました。私もお風呂場で、56歳でした。
状況はよく似てますけれども、私はたまたま、まだ息があるところを発見されて、緊急搬送された。命は助かったけども、障害者一級になったと。
障がい者になったことを嘆くべきなのか、それでも生きているって喜ぶべきなのか…。出かけることはままならないけれども、日々、偉い人たちの言葉を勉強していますね」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
引用元: ・【芸能】桜金造、デビュー秘話を明かしながら話す、障がい者になって思ったこと「嘆くべきなのか、生きているって喜ぶべきなのか」 [湛然★]
取り囲む記者を前に、「なぜ私が立候補してるのか、よくわかりません!」と言い放った猛者。
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