集英社
https://shueisha.online/articles/-/253010
東京が再び吸引力を拡大させている―。
総務省が先月発表した2024年の人口移動報告では、東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)の転入超過が13万人を超えた。
政府が地方創生に本格的に乗り出した2014年以降、一部の自治体では移住者の増加で人口減少を食い止めたり、コロナ禍真っただ中の2021年には東京への転入が14年以降で最少の5433人まで落ち込んだりもした。
このまま「東京一極集中」に歯止めがかかるかと期待されたのも束の間。コロナ禍が収束し、経済活動が正常化した2022年以降は、3年連続で東京圏の転入超過が拡大した。
なかでも目立つのが「若者」と「女性」の存在だ。
2024年に転出超過だった40道府県のうち、32道県では男性より女性の方が超過数が多かった。さらに東京圏の転入超過を世代別でみたところ、20?24歳(8万6908人)?25?29歳(3万2065人)?15?19歳(2万827人)と、ほとんどが15?29歳の若者層が占めており、進学や就職を機に、女性や若者が地方を離れ、首都圏に移っている実態が浮かび上がってきた。
その背景には、地方に魅力的な職場が少ないことや、男女の待遇差、固定的な性別役割分担意識が課題として挙げられている。専門家によると、『地方の集まりではお茶汲みは女性』『お祭りの時の女性の裏方の役割が重荷』など、地方に色濃く残る家父長制に根差した男尊女卑風土が女性たちを遠ざけることも指摘されている。
■地元では『ビッチ』呼ばわり、渋谷や原宿に憧れ
「故郷の前時代的な価値観が今でも苦手です」
そう語るのは現在、東京都内のアパレル業界に勤める澤田さん(仮名、女性、35歳)。服飾関連の専門学校への進学を機に、18年前に地元の鹿児島を離れ、上京を決めた。
「小さい頃からテレビに映っていた渋谷や原宿、表参道のキラキラした都会の街に憧れがありました。高校時代からファッションに目覚めたんですが、網タイツを履いたり、へそ出しファッションをしただけで、『ビッチ』呼ばわりされる地元に嫌気が差して…。
都会に出たら同じように個性的なファッションや洋服好きの人と出会えるんじゃないかってどんどん都会への想いが増していきました」(澤田さん、以下同)
進学の際には、福岡・大阪・東京の三択で迷っていたというが、5歳年上の兄が就職で東京に働きにでたため、『お兄ちゃんもいるし大丈夫かも』と、東京の専門学校に進学することを決めた。
慣れない都会の生活に最初はホームシックに陥ったというが、半年過ぎた頃には気の合う友人もでき、憧れだった渋谷や原宿に好きなファッションで遊びにいったりして青春時代を謳歌した。
上京して驚いたことはあるか、と尋ねてみたところ、
「鹿児島の中でも僻地のド田舎で育ったので、もちろん高い建物に目を奪われっぱなしでしたし、人の多さにもドラマの台詞みたいな関東弁にも、人込みをスムーズにすり抜けていく都会の人々にも驚きました。
でも一番は、専門学校の飲み会で男性の先輩が率先して料理を取り分けている姿を見たときですかね(笑)。いわゆる昔ながらの“九州男児とそれを一歩引いて支える妻”みたいな家庭で育ってきたので、『えっいいのかな…』って心底驚きましたし、人前で彼氏をディスる女友達と、その横でへらへら笑っているその彼氏の姿にも驚きました(笑)」
■地元に戻るも再上京した理由は…
専門学校を卒業すると、夢だった服飾関係の会社に就職し、新宿で販売員として働くようになった澤田さん。
地元の九州に戻る選択肢はなかっただろうか―。
「当時は一ミリもなかったです。東京は百貨店やファッションビルも多くてアパレル求人もたくさんあるし、地方に比べて給料も高い。正直、都内は物価も高いし、朝の通勤ラッシュは何年経っても慣れないですけど…、原宿や渋谷みたいな若者ターゲットから、銀座や表参道みたいな高級感溢れる大人ターゲットなどアパレル店員として働き場の選択肢が幅広いのが魅力でした。
それに私が新卒で入った会社は九州方面にも店舗を展開していたので、『本気で地元に帰りたくなったら異動希望だせばいいや』と思っていたのも大きかったです」
その後、20代は東京で順調にキャリアを積んでいた澤田さん。会社の先輩や上司も独身バリキャリが多く、30代を超えても結婚を強く意識したり、焦ったりすることもなかった。
※以下出典先で
引用元: ・【社会】東京一極集中再び「地元では網タイツ履いただけで『ビッチ』呼ばわり」女性が再上京した訳とは [七波羅探題★]
コメント