[ 2025年12月9日 22:51 ] スポニチ
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日本酒が入った杯を手に、年末恒例のほろ酔いコンサートを行った加藤登紀子 Photo By スポニチ
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歌手の加藤登紀子(81)が9日、神奈川・横浜で年末恒例の「ほろ酔いコンサート」を開いた。
東京大学在学中の1965年にデビュー。今年歌手始動60周年を迎えた。節目を締めくくるステージは、78年に「日本漁業組合連合会」のために作った「俺たちは海を渡る」で幕開けした。
ピアノやバイオリンなどの音に合わせ、♪太陽の中へ 旅をする――。と勇ましく歌う加藤の“船出”を勢いづけるように観客の手拍子が響いていた。
約2時間20分の公演は10月にリリースした2枚組のアルバム「明日への讃歌」に収録した楽曲を中心に展開。
アルバムと同じ「出会い物語」をテーマにした第一部では、様々な表現者たちとの出会いをアルバムをめくるように、歌と共に紹介した。
75年に「ヤマハ ポピュラーソングコンテスト」でグランプリを受賞した中島みゆき(73)とは同年に対面。3年後に中島が作詞・作曲した「この空を飛べたら」を加藤に提供したエピソードを告白。
さらに同年の年末には河島英五さん(享年48歳)が「ほろ酔いコンサート」に観客として訪れていたことも明かした。
「河島さんとはこの時が初対面。『酒と泪と男と女』が大ヒット中だったからビックリしてステージに上がってもらったの。劇的な出会いだった」と回想した。
「劇的」と振り返った出会いには続きがあり「私のコンサートを観た後、河島さんは電話で二人目の子供を授かったことを聞いたんですって。それで(帰宅する)新幹線の中でうれしくて書いた曲が、翌年1月1日にカセットテープで届きました。それが『生きてりゃいいさ』でした」という秘話に会場からどよめきが起きていた。
♪喜びも悲しみも立ちどまりはしない――。加藤の温かい歌声に聴衆はじっと耳を傾け、歌唱後は客席から「ブラボー!」の声が飛んでいた。
自らアコースティックギターを弾きながら歌った1部の終盤には、2019年12月4日にアフガニスタンで銃撃され亡くなった医師の中村哲さん(享年73歳)との出会いを振り返る場面も。MCでは「正義とは何かを問い続け、『目の前の命を助けることだ」と尽力した哲さんに捧げます」と思いを込め「あなたの行く朝」を熱唱。天国の中村さんに届くようにと、何度も天井を見上げていた。
1部の最後には、45年前の12月8日にアメリカ・ニューヨークで凶弾に倒れたジョン・レノン(享年40歳)の「IMAGINE」を歌と朗読で披露し、平和への思いを一つにしていた。
「恋話」をテーマにした二部では少女のような可憐さで「18の頃~Chez Maria~」を歌唱。冷たい雨を思わせる藍色の照明の中で披露した「雨のシャンソン」では、行く先が見えない恋に迷う女性の切ない心情を歌い上げていた。
マダム・ジーナとして声優を務めたスタジオジブリのアニメーション映画「紅の豚」では、劇中にジーナが歌った「さくらんぼの実る頃」を、ピアノの横に立って披露した。
アンコールでは深紅のバラのような輝きの中で、大ヒット曲「百万本のバラ」を歌唱。 曲の最後に加藤が「大きな声で歌って!」と呼びかけ、指揮者のように両手を広げると手拍子をしていた客席が大合唱。最前列に座っていた18歳の青年から大きなバラの花束を渡されると「ありがとう!」と目を細めていた。
全20曲を歌ったコンサートの最後は、親交があるロックバンド「SUPER BEER」の人気曲「幸せのために生きているだけさ」をカバー。「良い曲なんだから!」と“宣伝”すると会場中に笑顔があふれていた。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
引用元: ・【音楽】加藤登紀子 恒例のほろ酔いライブで中島みゆきらとの出会いを紹介 河島英五とは「劇的だった」 [湛然★]
休肝日作れよ
公安ちゃんとマークして
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