連立離脱の公明党、「高市政権が終われば復縁も……」
石破茂首相が参院選の責任を取るか否かの混乱に始まり、自民党総裁選が行われて高市早苗氏が当選後に公明が連立を離脱し、高市氏が首相に指名されるかどうかわからない中で電撃的に日本維新の会と連立にこぎ着け……と秋の政局はめまぐるしく動いた。中でも最もインパクトのあったのは公明の連立離脱。野党となった公明党は、高市政権への批判的なコメントを発信しているが、本心はどうなのか。ここまでの経緯と彼らの本心をお伝えする。
「総裁選で高市氏が当選することを想定できた人は公明側ではほぼゼロでした。公明の連立離脱は電撃的でしたが、高市総裁が実現した時点で公明は学会の“懸念”の意思をじわじわと伝え始めました。麻生太郎氏の処遇をとにかく気にかけていましたね」
と、政治部デスク。
麻生氏の公明・学会嫌いは筋金入りだ。1994年、麻生氏は自民の亀井静香氏らと共に「憲法20条を考える会」を発足させ、公明・学会の関係に「規定される政教分離に違反している可能性がある」と疑義を呈し、実際に池田大作名誉会長への証人喚問も検討されたという。しかし、1998年の参院選で自民は敗北し、自民は公明との連立に舵を切り、自自連立から自自公連立へと発展。憲法20条を考える会は活動休止を余儀なくされた。
■「生みの苦しみ」を知る人も少なく
結果、10月10日に公明は連立離脱を高市氏に直接伝えた。
「公明は創価学会の政治局、あるいは政治部的な扱いですから、学会の指示通りに動く他ありません。学会としては衆院選、都議選、参院選と3連敗し、これ以上学会員に政治活動を強いるのは無理だと判断したということです。ただ、100%の確信をもって連立離脱を選択できたかというとそうでもなく、“もう少し我慢しても良かったのではないか”との意見も聞こえてきます」(同)
26年前に自民と連立を組む前後には相当な誹謗中傷を受けた経験があり、その「生みの苦しみ」に比べればあらゆることはそれほど重いものではないとの見方もあったとされる。
「だいぶ時間が経って連立を組んだ当初の“汗と涙と血”の意味がなかなか伝わっていないのかもしれませんが、一旦離れてもまた連立に戻る可能性を残しているあたり、高市政権が変わればまた違ったアプローチができると見ているのでしょう。当然ながらなかなかしたたかですね」(同)
引用元: ・連立離脱の公明党、「高市政権が終われば復縁も……」 [662593167]
 
 
 
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
 