非学会員の立場ながら創価大学で学び、四半世紀、学会と学会員たちの「内」と「外」、ふたつの視点から見続けてきた私にはそう思えてならない。
今夏の参院選で公明党は改選14議席の死守ならず。
獲得できたのは8議席。実に6議席を失った。
【秋山謙一郎/ジャーナリスト】(全3回の第1回:敬称略)
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大敗を喫した今回の選挙。
だが、最大、唯一の支援団体であり、創設団体でもある学会で、実際に選挙の舞台裏を取り仕切った学会員たちの声は驚くほど冷静だ。
曰く、「もはや自民党との区別がない」「党として独自のカラーが打ち出せていない」「人も政策も無党派層を取り込めるパンチの効いた何かがない」といったところだ。
これら内側の声を、事情の知らぬ人に、「学会とは無縁の外側からの指摘だ」と言っても、きっと通用することだろう。
かつて「内」と「外」の間では、その使う言葉の意味、価値観といったものに大きな乖離があったものだ。
だが近頃ではそれがなくなりつつある。
これは何を意味するのか。
今から紐解いていく。
その昔、今夏の参院選のように学会員たちが応援した選挙で敗北を期したとなると、それはもう学会員たちの落胆ぶりは凄まじくとても声などかけられるものではなかった。
学会が応援して大敗という結果を迎えた選挙として思い起こされるのは、古い話で恐縮だが1996年の第41回衆議院総選挙だ。
その選挙直後の創価大学キャンパス内での光景は、ただただ異様の一語に尽きた。
開票日の翌朝、学内では池田大作によって「栄光の道」と名付けられた石畳の道。
そこに女子学生何人かが集まって泣いている。
聞くとはなしに聞こえてきたのは、「先生(※)に申し訳なくて」「私たちの祈りが足りなかったから」といった声だ。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/04a902a57107ff4f3337b4c42f1f6fe8bfe98c46
引用元: ・【支援団体】公明党の惨敗を“自分たちの責任”と考える学会員はどれほどいるのか? 創価大卒ジャーナリストが語る「創価学会が公明党を見限る日」