三回忌の墓参
「御殿山」(ごてんやま)と呼ばれる小高い丘が北海道日高郡新ひだか町にある。岡田繁幸はその中腹、坂の先に広がる静内目名(めな)墓地に眠っている。
2023(令和5)年3月19日、迎えた三回忌の朝、私は墓参した。
(略)
書く、と決めました。許してもらえますか。
私は墓前にしゃがみ、繁幸に伝えた。この2年続いたためらいが胸中に蘇ってもいた。
そのホースマンとして足跡は後世に伝えられて然るべき……。
以前から思い続けてきた。
岡田繁幸は一生を賭して、他に類を見ない競走馬を見極める目を磨き上げた。
借金をして立ち上げた牧場を日本有数の規模に発展させた。
生まれ育った馬産地・日高の地盤沈下を防ぐため、また中央競馬と地方競馬、日本独自の一国二制度の垣根をなくすため、懸命に動いた。
多くの人に馬や競馬を長く愛してほしいと、魅力を伝える草の根運動を厭わなかった。
さらに、競走馬としても種牡馬としても世界を股にかけて活躍できるスーパーホースの発掘に挑み続けた。
手前味噌ではあるものの、彼の一挙手一投足に注目し続けた私に、記録者としての資格はあるのかもしれなかった。だが、あまりにも唐突な死にすくみ、動けなくなった。
71歳の誕生日の朝
2021年3月19日、71回目の誕生日を迎えた朝、繁幸は牧場敷地内の池に身を投じた。
「この業界を去るとき、ダービーを勝てないまま、というのは嫌なんです。絶対に嫌なんです。子供の頃から『ダービー、ダービー』と聞かされてきて、まわりの誰もがダービーの勝利を夢見ていた。ほかのGⅠとはまるで違います。馬の世界に生きる者にとっては、それくらい特別なレースなんですよ」
引用元: ・【競馬】“マイネル軍団” 岡田繁幸総帥「急死の真相」…“71歳の誕生日”に牧場敷地内の池に身を投じていた [ネギうどん★]
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