一世風靡したJリーグ草創期のスターは農場主になっていた―― 名フレーズ「トモダチナラ、アタリマエ」の誕生秘話
12時間前NEW
アルシンド・サルトーリ ’67年、ブラジル・パラナ州出身。フラメンゴ等を経て’93年に鹿島入団。引退後はブラジル女子サッカーチームの監督を務めた。息子のイゴールも鹿島でFWとしてプレーした
日本からたくさんのことを学んだ
「いまの私があるのは、日本のおかげ。おカネだけじゃない、人生の財産の多くを日本からもらったんだ。あれから30年経つが、いまもJリーグ草創期に関われたことを誇りに思っている」
待ち合わせ場所のホテルで顔を合わすなり、アルシンド・サルトーリ(57)は甲高いポルトガル語でそう言い、「今日は何でも聞いてくれ!」と続けた。
’93年のJリーグ開幕元年から鹿島アントラーズでプレー。底抜けに明るいキャラクターと、長髪なのに頭頂だけが薄いという独特のヘアスタイルで一世を風靡した″伝説のストライカー″が、
7月下旬、ジーコ(72)主催のチャリティーマッチ「Zico All-Star Game Hiroshima」に出場するために来日。FRIDAYのインタビュー要請をレジェンドは快諾したのだった。
アルシンドは鹿島入団当時25歳。選手として脂が乗り始めたころになぜ、地球の裏側の日本に来ることとなったのか。
三笘もどこかと契約すればいいのに
レオナルドみたいにてっぺんフサフサだったらロマーリオとアルシンドの2トップだったのかもしれない・・・w
今のサッカー少年は門戸広くなっていいよな
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