コンビで活動をスタート。『ABCお笑い新人グランプリ』など賞も獲り、順風満帆と思われたが解散。ピン芸人としての活動が始まる。徐々に自身のスタイルを確立し、バラエティ番組で活躍をするが、壁を感じるときがやってきたという。
「“スベリ芸”って実はめちゃくちゃ強いんですよ。スベることがないですから。だから岡田(圭右)くんとかたむけん(たむらけんじ)とか、(ダイアン)津田とかもそうなのかな。ああいう“スベリ芸”って、スベって笑いがとれるという、これ、日本だけのものじゃないですかね。
日本はそれを笑ってくれる土壌がある。それだけの懐の大きさなのか、幅の広さなのか、そういうものを含んでるのが“スベり芸”なんですよね。でもね……その“スベリ芸”って、そこに甘んじてしまうんですよ。そこで仕事があるし、そこの席を用意されてるし、そこでお金ももらえるし(笑)。そこで“これだな”みたいな感じになっちゃうんです。完全に甘んじてしまう」
他の芸人は大ウケしているのに自分は盛り上げられなかったつらい経験
そうなってきた頃、芸人としての立ち位置をまざまざと考えさせられる出来事があった。
「38〜9(歳)の頃ですね。あるとき、営業が3本ぐらい続いたんですよ。僕の前に次長課長が出る。チュートリアルが出る。僕の後にブラックマヨネーズが出る、中川家が出る、みたいな営業で。みんな出ていったらワーっとウケて“お疲れ様でした!”って勢いよく帰る。
僕は出ていって、最初はワーって盛り上がるんですけど、ちょっとしたらぷすぷすぷす……って感じで尻すぼみで。他の人はドカーンお疲れ様でした。俺は静かに帰る、みたいな。これがね、立て続け3回ぐらいあったんです。もうほんまにつらくて。情けなくて。
さすがに3回続くと、ちょっと待てよと。後輩はちゃんと芸を見せて帰ってる。でも俺はなんやこれ。20年頑張ってきてテレビでみんな俺のこと知ってて、最初はワーッと盛り上がってくれるけど、それだけ。お客さんの前にして、何もやることがない。これ芸人ちゃうやろ、みたいな。芸人ちゃうっていうか、俺の目指してる芸人像ではないな、と思ったんですよね。
このままダメ人間、いじられ芸でテレビでやっていても、おそらく後輩ができて、その人たちにいじられて飯は食っていけるんやろう。でも、俺の思ってた芸人像と全然違うし、人生これで行くの? という思いが来たんですよね。まさに不惑(40歳)を前に。これは変えなあかん、と」
そのときに頭に浮かんだのはテレビではなく舞台。「ここからは舞台や。新喜劇や」と。さっそく新喜劇の座長を目指して準備に入った。
続きはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/e6e99dfac764c9d5e13f0a58e95121e7547e5036
引用元: ・月亭方正「これ芸人ちゃうやろ」と痛感したつらい経験 「スベリ芸はめちゃくちゃ強い。スベることがないから」 [ネギうどん★]
芸でもなんでもない
まあそこになりたくないのは分かるけど安心感みたいなのあるからな
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