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◆仲が良かったはずが…敗戦後に略奪や暴動に遭う
──敗戦直後からの逃避行の中、親身に匿(かくま)っていただいた中国人男性の徐集川さんの話をお聞きしたいと思います。
徐さんは親父(おやじ)と同じ印刷会社で働いていました。親父と李白なんかの漢詩を読むのが趣味。2人とも博打(ばくち)も好きで、ある時、「徐さんと一緒に動物園に連れて行ってやるよ」と向かったら、奉天(現・瀋陽)の競馬場で馬しかいなかった。朝鮮人もモンゴル人も働いており結構仲良かったんです。
でも、敗戦後には一転、略奪や暴動に遭いました。「助けて」という悲鳴や「ガシャーン」とガラスが割れる音があちこちで聞こえました。お袋(ふくろ)もドアにタンスを押し付けて入れないように頑張った。6歳の私、4歳、2歳、生まれたばっかりの弟の計4人がピーピー泣いているわけですよ。
8月末から逃避行が始まりました。まだ夏でしたが、オーバーを着せられて、毛布持たされて、厚い靴下はかされて。二度と手に入らないアルバムを持ち、ありったけのお米をリュックの底に入れた。夜中に半分寝ながら家を出ました。(略)
◆自分の家の物置の屋根裏に匿ってくれた徐さん
その時に偶然通りかかったのが徐さんだったんです。わらで編んだ苦力帽(クーリーぼう)をかぶって天秤棒(てんびんぼう)を持ってたから、これは危ないと思って茂みの中に隠れました。そしたら立ち止まって振り向いて、茂みを覗(のぞ)いてるわけ。お袋は日本語と中国語が半分半分で「すいません。赤ん坊がいるんです。見逃してください」とお願いしたんです。
そしたら「チパさんじゃないの」と言ったのです。チバじゃなくて。徐さんは抱っこしてくれて「こんなとこにいたら危ないよ」と連れてってくれたのが自分の家の物置の屋根裏。「ここだったら静かにしていれば誰にも見つからないから」と1カ月ぐらい匿ってくれました。(略)
その後は日本が建てた学校、工場の廃虚に潜り込んだり、橋の下で何日間か夜露をしのいだり。時には中国人に家賃を払って、1部屋に3~4家族ぐらい一緒でぎゅうぎゅう詰めです。(略)
◆引き揚げ船へ乗ったものの「ずいぶん船の中で亡くなった」
──中国東北部は氷点下30度になることもあります。
たくさんの人が凍死と栄養失調で亡くなりました。人が死ぬとノミ、シラミが生きている人に移動するんです。並んで寝てて、隣の人が亡くなったんです。
すると急に虫がザワザワと生きている人の方に移動するんですよ。地面が凍って埋めることもできないから。裸にして庭の隅に積むんです。衣服は生きている人が着て。靴下はあっという間になくなっちゃう。地獄に来ると、人間も鬼になっちゃう。手は合わせるけど「これ…(以下有料版で,残り 1660/3545 文字)
東京新聞 2025年8月15日 06時00分
https://www.tokyo-np.co.jp/article/428512
泣けてくるなぁ
引用元: ・旧満州で逃避行・ちばてつやさん「地獄に来ると人間も鬼になる」…反戦への思いを描く背景にある壮絶な経験 [蚤の市★]
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