秋篠宮家の事情を知る関係者が打ち明ける。
「紀子さまは先頃、宮邸の中で“私はもう恐れるものはありませんから”と仰っていたというのです」
耳を疑うような文言ではあるが、この関係者は、
「ご家庭内に皇位継承権を有する男性皇族をお二方擁され、手塩にかけてお育てになった悠仁さまも、無事に大学ご進学を果たされました。その状況で“次代の皇統が移ることになるわが家はこれで安泰です”という意味合いから仰ったお言葉だと聞きました」
というのだ。
1990年のお輿入れから35年。紀子妃は絶えず上皇后さまをお手本とされ、皇室の一員としてのお振る舞いを学ばれてきた。
「そのお姿は、ともすれば『過剰適応』と映りかねないほどでした」
とは、さる皇室ジャーナリスト。そして、
「2006年9月に悠仁さまが誕生されると秋篠宮家のお立場は一変し、将来のお世継ぎをお育てになる紀子さまには計り知れない重圧がのしかかっていきます。それゆえ、周囲に求める仕事の水準は高く、時に容赦ないご指導が繰り広げられ、秋篠宮家はいつしか宮内庁で『ご難場』と称されるようになったのです」(同)
が、平成の終盤には「小室問題」が勃発。激しいバッシングを浴びたご一家は、小室夫妻の渡米後も宮邸の改修費などを巡って批判にさらされてきた。
「この期間、紀子さまは『なぜ世間には分かってもらえないのでしょうか』と、繰り返し嘆かれてきました。秋篠宮さまともども、自身は精いっぱい、公務にあたっているのに、との思いが込められていたのですが、それとともに、平成時代とは打って変わって称賛されている天皇ご一家については、複雑な思いを抱かれているご様子でした」(前出の事情を知る関係者)
というのも、
「紀子さまは、例えば愛子さまについて話される時、お名前ではなく『あちらのお嬢さまは……』という言い方をなさるのですが、そこには少なからず対抗意識が感じ取れます。皇后さまが適応障害でご公務がままならなかった平成時代、そのご不在を埋めるべく懸命に努めてきたという自負が、紀子さまには強くおありなのです」(同)
7月13日にモンゴルご訪問から帰国された両陛下は、18日から愛子さまと共に那須でご静養。モンゴルでは、いまだご快復の途上にある雅子皇后のご体調ゆえ、陛下お一人でご視察に臨まれる場面も見られたのだった。
「昨年6月、両陛下は念願の英国ご訪問を果たされました。その際も皇后さまは、同行した主治医の助言を受けながら一部の日程にはお出ましにならず、ホテルで静養に努められていたのですが、後日、これについて紀子さまは“あのようなお姿はいかがなものでしょうか”と述べられていたというのです」(前出の事情を知る関係者)
ご自分であれば、そのようなことには決してならない――そんなお気持ちがうかがえるお言葉ではあるのだが、こうした紀子妃のお振る舞いと、長きにわたって接してこられたのが次女の佳子さま(30)である。
「佳子さまも10年ほど前までは、趣味のダンスや普段のお召し物を巡って紀子さまと激しく口論されることがありました。眞子さんの結婚に際しては一貫して姉上を支持され、そのことで紀子さまとの間に溝が生じることになりましたが、そうした時期を経て現在は達観されたご様子です。職員らの日頃の大変さもよくご存じで、“母はあのように周囲と接するのが難しい部分もありますので……”などと仰り、周囲の労をねぎらっておられます」(同)
詳しくはこちら
https://news.yahoo.co.jp/articles/78679536b2b32f211b93dd89155ada19d9491e39?page=1
引用元: ・【皇室】佳子さま「母は周囲と接するのが難しい部分もありますので」とフォロー 「職員の労をねぎらっておられる」
コメント