7/4(金) 20:10 映画チャンネル
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c 1993 Saeko Himuro/Keiko Niwa/Studio Ghibli, N

映画『海がきこえる』が2025年7月4日(金)より3週間、全国でリバイバル上映される。あらすじ(ネタバレあり)を紹介し、魅力を徹底解説。氷室冴子による日本の小説を基にした、スタジオジブリ作品唯一のテレビ映画。杜崎拓役・飛田展男、武藤里伽子役に坂本洋子など声優陣が集結。稀有な「エモい」魅力の秘密を解き明かす。(文・編集部)
■「ポスト宮崎・高畑の時代に備える」というコンセプト
小説家、氷室冴子の代表作を原作としたスタジオジブリ制作のアニメーション作品。監督は『めぞん一刻 完結編』(1988)や『きまぐれオレンジ☆ロード あの日にかえりたい』(1988)などの青春ものを得意とする亜細亜堂の望月智充が務める。
スタジオジブリの若手作家育成プロジェクトとして発案された本作。当初はテレビ放映用とされたものの、制作プロデューサーの高橋望が「若手制作集団とは言ってもジブリが作るのだから映画として作ろう」と提案し、72分の中編作品としての制作が決定したという。
テレビ用に企画された本作だが、1993年に放映されて以降、長らく地上波にかかることはなく、「地上波NG」「放送禁止」といった噂がまことしやかに囁かれている。中でも、劇中にある未成年飲酒シーンが、90年代以降、厳格化が進んだBPO(放送倫理・番組向上機構)の規約に抵触することになったからではないか、72分という上映尺は短く、金曜ロードショー枠に上手くはまらないのではないか、といった説は根強く、説得力がある。
本作が最後に地上波で放送されたのは2011年。宮崎吾朗監督作『ゲド戦記』(2006)と併映され、放送前には本作に不適切な表現がある旨を明記した上で「製作者の意図を尊重し、オリジナルのまま放映する」といったテロップが使われた。
閑話休題。本作は「ポスト宮崎・高畑の時代に備える意味でも若手主体による作品作りを」という思惑から、同スタジオの作品としてははじめて宮崎駿と高畑勲が関わらない作品として知られており、スタッフには『かぐや姫の物語』(2013)の小西賢一や『もののけ姫』(1997)『千と千尋の神隠し』(2001)の安藤雅司など、後のアニメ業界を支えるメンバーが起用された。
また、飛田展男をはじめとする専業俳優が積極的に起用されている点や、吉祥寺駅やはりまや橋、高知城といった舞台が実在する点もスタジオジブリ作品でははじめての試みだった。なお、製作時は、リアリティを表現するため、ロケハン時の写真がそのままアニメーションとして使用されている。
■青春が生み出した「余白」
そんな本作は、いわば「余白」という言葉で解説できるだろう。
まず、作画においては、「順光」「逆光」「ノーマル」の3つのパターンのハイブリッドにより、コントラストの強い高知の夏を表現。白を基調とした情緒あふれる映像で、青春の儚さや淡い恋心といった、感情を表現することに成功している。
かっちりした絵も本作の特徴だろう。通常のアニメといえば、動きや奥行きを表現するために、パン(水平移動)やティルト(垂直移動)といったカメラワークが多用されがちだ。しかし、本作は、拓が里伽子と再会した際のパンをのぞき、全てのカットがフィックスになっている。これにより、再会時の拓の心の揺れを効果的に表現可能になったのだ。
ストーリーの「余白」も、本作の「エモさ」を効果的に高めている。作中では、里伽子が高知に転入してきた理由や、拓の恋心といった核心部分が明示されない。そのため、観客は、彼らの行動や会話の端々から彼らの感情の「余白」を汲み取ることを余儀なくされる。
そして、彼らのうちの中に立ち現れるのは、誰もが経験のある青春時代の後悔だ。本作の登場人物たちは、みな高校時代に何らかの思いを置き去りにしている。あのとき、なぜあんな行動をとってしまったのか。あのとき、なぜあんなことを言ったのかー。そんな青春時代のあれこれが、拓や里伽子とともに、観客の中で立ち現れる。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
引用元: ・【ジブリ】「放送禁止」の噂は本当? 宮崎駿が制作に関わらなかった理由とは? 映画『海がきこえる』評価&考察レビュー [湛然★]
ま、当時の世相を反映してるってことで
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