https://news.yahoo.co.jp/articles/4a01b30eb690773f248f854e3b92cec57cd6f26c
新潟水俣病の“公式確認”から60年。
今もなお患者や被害者は、症状のみならず“差別や偏見”とも闘っています。
新潟市東区に住む菅原ハルさん(85歳)は40歳のころから、手のしびれや震え、こむら返りなどの症状に苦しんでいます。
「本当にね、こむら返りが起きると足がすごく痛くて」
「この足を何とかしてくれ、この足はもういらないっていう…」
粉コーヒーを入れるスプーンを持つ手は小刻みに震え、お茶うけのお菓子の箱も、なかなか包みを開けられません。
「紙を手で切れない―。剥げないっていうか、力が全然入らないんですね…」
【中略】
新潟市北区に住んでいた菅原ハルさん(85歳)は、2015年に医師から水俣病と診断されました。しかし「公健法(公害健康被害の補償等に関する法律)」に基づく認定の申請は、2015年と2021年の2度、棄却されています。
2016年には、新潟水俣病第5次訴訟の原告にも加わりました。
原告の中には偏見や差別を恐れて、顔や実名を出さずに裁判を続けている人もいます。当初はそのうちの一人であった菅原さんは、2024年7月に顔と実名を公表することを決意。新聞の取材を受け、裁判の意見陳述に臨みました。
しかし菅原さんは、裁判後の会見でカメラの前に出るのをやめたのです。
裁判について報じる新聞が掲載された日、記事を見た知人から電話があり、菅原ハルさんは「そんなにお金が欲しいの?」と言われたというのです。
「ドキドキして震えて…。電話も怖くて次になっても出れない。2・3日は外へも出たくないというか」
公式確認から60年近くたっても、差別や偏見が続いていたのです。
第5次訴訟は、149人の原告のうち提訴が早かった47人について2024年4月に判決が言い渡されています。
阿賀町出身の男性(70代)は、ここで水俣病と認められた26人のうちの1人です。
【中略】
阿賀町出身の男性(70代)は、ここで水俣病と認められた26人のうちの1人です。
「たまに指先が青くなるというか、今でもこういう(症状が)…」
しかし男性は、裁判で水俣病と認められてもなお、男性は顔や実名を公表していません。患者や被害者への差別や偏見を目の当たりにしてきたからです。
「あの人あれだよ、水俣病の金もらってる。相当な金もらってるよ」
「だからあんなの、大した症状でもないんだけど…、とそういうことを言われる」
「偏見というか、そういうのを聞いていたからね。自分だけで収めておこうと」
引用元: ・“今でもある”差別と偏見「指に力が全然入らないんです」60年も経ってなお続く症状と訴訟『新潟水俣病』被害者それぞれの苦悩 [おっさん友の会★]
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