松井すげえ
以下弔辞
監督、きょうは素振りないですよね? その目を見ていると、「バット持ってこい。今からやるぞ」と言われそうでドキッとします。でも、今はその声を聞きたいです。
ドラフト会議で私を引き当ててくださり、満面の笑みで親指を突き上げてくれました。タイガースファンだった私は、心の中でちょっとズッコケました。しかし、その後、すぐに電話で「松井君、待ってるよ」と言ってくださり、あっという間に私の心は晴れました。
監督はひとたびユニホームを着てグラウンドに出ると、強烈な光を発し、私と二人で素振りをする時は、バットマン長嶋茂雄になりました。それが私の日常でした。
監督が引退された年に生まれた私は、監督の現役時代をともに過ごした方々と同じ気持ちになりたくてもなることはできません。その時代を生きていません。ですが逆に、私はその、野球の神様、長嶋茂雄というものを、肌で感じていないからこそ、普段、普通の自分自身で接することができました。それが私にとって、非常に幸運だったと思っております。
監督を退任する日、私は最後の素振りだと思って、振っている途中、涙が止まりませんでした。これが最後の素振りになると思ったからです。「何泣いてんだ。タオルで涙ふいて、ほら振るぞ」。そう声をかけてくださいました。それが最後だと思っていましたが、翌日もやりましたね。そして、次の年も次の年もやりました。私は長嶋茂雄から逃げられません。これからもそうです。それが私の幸せです。
監督、私は現役時代に一度だけ監督にお願いしたことを覚えていますか。私はセンターを守っておりましたが、「監督、どうせなら私、サードやらしてくださいよ」とお願いしました。そしたら、「お前はサードじゃないよ。お前はやっぱりセンターだ。俺はお前をジョー・ディマジオにしたいんだ」とおっしゃってくださいました。私は全くピンときておりませんでした。
ある日、素振りで監督のご自宅にお邪魔した時、私はそこにジョー・ディマジオのバットとジョー・ディマジオの大きな写真があることに気づきました。見逃しませんでした。
もちろん、私も思っていませんでした。私が引退して、監督に挨拶に行った時、「監督がジョー・ディマジオって言ったから、私、ヤンキースに行ったんですよ」って言ったら、この笑顔を見せてくださいました。その時、初めて私は、大好きなジャイアンツを去ることになりましたが、これで良かったんだと思いました。
そして、今も遠い離れた場所にいます。日本に帰ってくるたび、監督にご挨拶に行くと、監督の言いたそうなことを、言おうとするのに言わない。でも、その気持ちはいつも受け取っておりました。これからも監督が、なぜ私だったのか、なぜ私にたくさんのことを授けてくださったのか。その意味を、その答えを、自分自身が心の中で、監督に問い続けます。
今度は、私が監督を逃がしません。ですから、今日は「ありがとうございました」も、「さようなら」も、私は言いません。今後も引き続き、よろしくお願いします。そして、その強烈な光で、ジャイアンツの未来を、日本の野球の未来を照らし続けてください。
キャラ的に劉備みたいだよな
●松井秀喜(ヤンキースGM特別アドバイザー=45)
この度は、東京スポーツ創刊60周年誠におめでとうございます。
5年前の55周年時には、貴社の元番記者に「貴方の背番号と同じですので、これが私からの最後のお願いです」とお祝いのメッセージをお願いされましたが、たった5年が経過した舌の根も乾かぬうちに同じ人間からまたメッセージの依頼が来ました。この厚かましさを堂々と実行できることこそが東京スポーツの真骨頂であります。
私の現役時代の唯一の後悔は東京スポーツと仲良くしてしまったことです。なぜそうなったかと申しますと、原因は高校時代にあります。私の高校時代の山下監督が東京スポーツを毎日読んでおり、部室には毎日、東京スポーツがありました。私の地元・石川では中京スポーツとして翌日の朝に発売されておりましたので、1日遅れの新聞でありました。なぜ山下監督が1日遅れの新聞を毎日読んでいたのかは今でも分かりません。見出しで笑いたかったのか、プロレスが好きだったのかと想像しますが、思春期真っただ中の我々は当時、毎日掲載されていました高校生には少し刺激のある連載小説を読んでおりました。
そういう経緯もあり、私はプロ入り後も東京スポーツ記者の野球とは全く関係ない質問にも答えてしまいました。今思えば、東京スポーツの性質をもう少し理解した上で質問に答えれば良かったと悔いております。
ただ、東京スポーツは事実か事実でないか分からないことを堂々と1面にできる稀有な新聞社であります。それが許される特徴を生かして、これからも東京スポーツにしかできない記事を掲載し、仕事で疲れた帰宅途中の読者の皆様を喜ばせてください。改めまして、この度は心よりお慶び申し上げます。そして、65周年にはもうお祝いメッセージの依頼が私に来ないことを切に願っております。
【番記者ノート】正直に言って、最初はオファーを出すべきか真剣に悩んだ。昨今の情勢を鑑みれば、松井さんはちゅうちょするかもしれないと思ったからだ。でも、どうしても後ろ向きになり、暗くなりがちな時だからこそ、本紙を通じて世の中に「元気」と「活力」を与えてくれる人は松井さんしかいない。意を決してずうずうしくもお願いしたところ、松井さんはこちらの気持ちをくんで快諾してくれた。しかもウイットに富む、異例の長文メッセージ。深謝の念に堪えない。さすがは日本が誇る国民栄誉賞の英雄だ。
きっとそう遠くないうちに世界はコロナを完全撲滅するだろう。本紙が65周年を迎える5年後は、明るい世の中になっているはず。そのタイミングで、またまた厚かましく「最後のお願いです」と頭を下げ、ユーモアたっぷりのメッセージを頂戴したいと心に決めている。松井さん、どうかよろしくお願いします。(三島俊夫)
コメント