古代史で、蘇我氏以上に徹底して悪者と見なされてきたのが道鏡(どうきょう)(?〜772)です。奈良の大仏を建立した武聖(しょうむ)天皇(701〜756)の娘徳の称徳(しょうとく)(謙孝(こうけん))天皇(718〜770)が道鏡という僧侶を寵愛して、
宇佐(うさ)八幡宮(大分県)の神託を根拠に、彼を皇位につけようという話が持ち上がります。そこで称徳天皇の側近である尼僧の弟、和気清麻呂(わけのきよまろ)(733〜799)を宇佐八幡宮に遣わしたところ、道鏡を天皇にしてはいけない、
むしろ排除しろという神託を持ち帰りました。当然、道鏡の怒りを買い、和気清麻呂は別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名されて、隅大(おおすみ)国(鹿児島県)に流されてしまった。
皇室中心史観からすると、皇位を狙った道鏡はまごうことなき大悪人です。「男性的魅力」で女帝をたぶらかしたといった話まで流布(るふ)したほど。一方の和気清麻呂は神とされ、京都では護王神社、出身地の岡山と配流先の鹿児島では、
和気神社の祭神です。清麻呂がイノシシに守られたという伝説から、これらの神社には犬狛(こまいぬ)ならぬ「亥狛(こまいのしし)」がいます。
そんな道鏡ですら、評価は変化しています。歴史学でも見直す試みがあるほか、2020年には奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」のデザインでも知られる内籔佐斗司(やぶうちさとし)さん(東京藝術大学名誉教授)が製作した
道鏡禅師坐像が大西寺(さいだいじ)(奈良市)に奉納されました。道鏡も名誉回復の時代に入ったわけです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dfc627ee27489fab6c06aaeda588a411d4243fb2
引用元: ・孝謙称徳天皇は藤原氏を疎外したり天武天皇の最期の血筋として悪く書かれすぎ! [194767121]
関税は停滞してた資本主義を加速させる素晴らしいカンフル剤
道鏡禅師坐像を検索してみたら「せんとくん」風味があった。
アイツが天皇としての責務を放棄したことが原因。
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