橿考研が2024年10月から発掘調査を実施。09年度に発見した宮最大規模の建物跡(東西35・4メートル、南北15メートル)の範囲確認調査をしていたところ、南の隣接地に別の建物の北東部分の柱穴計35カ所を発見した。09年度に発見された遺構は外壁のみ柱を立てる「側柱建物」だったが、今回は内側にも柱を配置して頑丈に造った「総柱建物」と判明した。2棟をどう使い分けたかは不明だ。
2棟は見つかった柱の位置関係から相似形とみられ、今回の総柱建物も内郭内の天皇の宮殿「内安殿(うちのあんどの)」や内郭外の「大極殿」とされる建物より規模が大きい。古代宮殿で複数建物が南北に並び、南側が総柱建物となっている例は、8世紀後半の「平城宮西宮(さいぐう)」(現在の奈良市)がある。現場は埋め戻されており、見学会は実施しない。
*記事全文は以下ソースにて
2025/3/18 17:00 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20250318/k00/00m/040/163000c
引用元: ・【奈良】塀の外に天皇の宮殿?飛鳥宮跡で7世紀の総柱建物跡見つかる [牛乳トースト★]
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