
引用元: ・アコギな中国人転売ヤー“大増殖”のなぜ、近江商人の格言「三方よし」なんて通用しないビジネス事情 [662593167]
● 息子に聞かれて母困惑 物乞いとパフォーマーの違いとは? 境界がわかりにくいのは中国あるあるで、物乞いとストリートパフォーマーの区別も難しかった。
タクシーに乗っていると、信号待ちの間に空き缶を手に近づいてくる人たちがいた。彼らは間違いなく物乞いだが、大学からスーパーに行く道の途中にいつもいる、楽器を演奏してお金をもらう老人はパフォーマーなのか物乞いなのか、わからずじまいだった。着ているものはよれよれだが、演奏はすばらしかった。
中国最北の黒竜江省に旅行したとき、マイナス30度の極寒の野外で、上半身裸で物乞いする男性に遭遇した。肌が真っ赤に染まり、刺すような空気に耐えながら座っているその姿を見て、「これは単なる物乞いでなく、芸を見せている」ように感じた。
今の日本では物乞いを見かけることが少ないので、ソウの目にはどの人も大道芸人や演奏家に映るようだった。
ある日、ソウがお気に入りのヨーヨーと空き缶を用意して靴を履き始めた。
「これでお金をもらってくる」
私は慌てて止めた。でも「なんでだめなの?」と聞かれて、うまく答えることができなかった。
ソウが「芸」を見せて投げ銭を得ようとしているなら、彼のヨーヨーはお金をもらえる水準には達していないし、物乞いならシンプルにやめてほしい。
それを幼いソウに説明しようとすると、うまく言葉が出てこない。
● ネットカフェ難民とホームレス、 援助交際とパパ活、何が違う?
その少し前から、ソウは路上で物乞いを見かけると「お金をあげたい」と言うようになった。けれど、留学先の教師たちは、「障がい者を見せ物にして金を稼ぐ悪い人もいる」「あの人たちにお金をあげても、あの人たちが受け取るわけではない」と留学生に説明した。そうかもしれないとも思うし、あの人たちは本当に働く手段がなくて困っているのかもしれない。
物乞いとパフォーマーの違い、そして物乞いにお金をあげることの是非。それは私の中でも明確に言語化できないことだった。ギターボックスを前に置いて、ギターを弾いている人はストリートパフォーマーだけど、大学の近くの雑踏で夕方、胡弓を弾いている老人は果たしてどちらなのか。
実は日本でも、あいまいなものはあちこちに存在する。ネットカフェ難民とホームレスは何が違うのか。売春と援助交際、パパ活はどう考えても地続きだが言葉が違う。
ただ、日本ではあいまいでグレーなものは、普通の生活を送っている大人の目には入ってきにくい。小さな子どもが「なぜ?」と気にする機会もほとんどない。
中国はいろいろな格差がむき出しになって、私たちの視界に入ってくる。大人は目に入っても見えないふりをするが、真っ白な子どもは知らない動物や乗り物、肌の色が違う人を見たときと同じように、「あれは何?」と無邪気に聞いてくる。
戸惑ったり躊躇したりするたびに、私自身が社会とソウに試されているような気持ちだった。
● 100円ショップの商品を 1000円で転売する中国人 2010年代に日本に留学した中国人のほとんどがやっていた副業が「代購」、簡単に言えば転売ヤーだ。中国人の所得が上がり、海外製品を“爆買い”するようになると、海外に住んでいる中国人は一斉に転売ヤーになった。留学生たちは日本に着くとまずネットショップを開設し、自身のSNSで「仕入れたもの」「仕入れられるもの」を宣伝する。注文が入ると手数料を上乗せした価格を受け取って、発送する。
ドラッグストアや家電量販店で購入したものを、自身の利益を上乗せして転売し、郵便局から発送するという非常に原始的なビジネスモデルなのだが、中国政府が個人輸入に関する法律を見直すくらい広がった。学生転売ヤーがものを売るのはSNSでつながっているリアルな友達なのに、100円ショップで買ったコスメを1000円で転売したりしていて、DNAの違いをまざまざと感じた。
いや、DNAというより環境なのかもしれないと、中国で暮らしているうちにどんどん商魂たくましくなっていくソウを見て思った。
ソウ10歳の夏、小学校でフリーマーケットと縁日を足して2で割ったようなイベントがあった。ソウは夕方、本を何冊も抱えて帰って来た。聞くと、家からペンを2本持って行って、物々交換で少しずつものをグレードアップし、最後に自分が気に入っていた漫画のシリーズ一式に換えたという。
そこまでは私も感心した。だが、ソウはこの体験で味を占め、どんどんあこぎになっていった。
● ゲーム機を1等賞品にして くじ引きで儲けた10歳の息子
次の縁日イベントの日、ソウはお手製のくじ引きを作って行った。
番号を書いた小さな紙に糸をつけ、紙の部分を中身の見えない箱に入れる。糸を3本引いて現れた数字の組み合わせが、1等賞から3等賞に該当すれば賞品がもらえるという設計になっていた。
縁日の後、「いやー、儲かった儲かった」とご機嫌で帰ってきたソウは、テーブルに小銭をじゃらじゃらと出した。お札もちらほら、合わせて50元くらいあっただろうか。日本食のレストランで、ちょっといい定食が食べられるお金だ。
「このお金どうしたの?」と聞くと、ソウは「くじ引きで儲けた」という。
「え?本物のお金でやってたの?」
だいぶ中国マインドが身についていたとはいえ、根本はしっかり日本人の私は慌てた。小学校のイベントなのに現金でやりとりするなんて、生きた金銭教育と言えなくもないけど、怖いよー。
ソウはさらに恐ろしいことを言った。 「当たりは1人も出なかった」
え、えーーーー。
10歳のソウがどのくらい計算ずくだったのかはわからないが、当たりの出る確率をエクセルで計算してみると、1000分の3しかない。ソウは家からゲーム機を持ち出して、1等の賞品として子どもたちを釣り、1回5元でくじを引かせていた。中には何回も挑戦する子どももいたという。
ちょうどその頃、日本では高級ゲーム機の賞品で客を釣って当たりの存在しないくじを引かせていた露天商が詐欺容疑で逮捕され、ニュースになっていた。ソウのやっていること、日本ではほぼ犯罪じゃん。
私はソウに「商売は、相手も自分も幸せにならないと続かないよ」と、「買い手よし、売り手よし、世間よし」を理念としていた日本の近江商人の話をした。賞品を掲示しているのに、当たりを出さないで、お金だけもらうのは良くないことだと諭し、儲けたお金の一部で、次の縁日の賞品を準備するよう言い聞かせた。
翌日夕方、託児所にソウを迎えに行くと、先生たちが私を見るなり「縁日の話聞いたよ。ソウはほんと賢いね」「将来金持ちになるよ」と口々に褒めてくれた。
え……。
私が昨日ソウを説教したのに、中国の託児所では賞賛されている。近江商人の理念はここでは通じないのか。
先生に褒められたソウは、私に遠慮しつつも嬉しそうにしていた。
商売に多少の図々しさ、交渉力は必要だけど、日本でそれやったら「賢い」じゃなくて「ずるい」となるんだよ。その点だけは日中でダブルスタンダードを持つのではなく、日本基準に合わせてほしいと、平凡な日本人の私は願ったのだった。
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