中学生の頃は、「おニャン子クラブ」が人気でした。当時、アイドルブームの象徴のような存在で、私も「入りたいな」と思っていたんです。その頃はソロアイドルも大好きで、(松田)聖子ちゃんや(中森)明菜ちゃん、キョンキョン(小泉今日子)、のりピー(酒井法子)、浅香唯ちゃんがいて、「かわいいな」と思っていました。
でも、おニャン子クラブが1987年に解散してしまって……。その2年後、当時は高校1年生の時です。家でぼんやりとお昼のテレビを見ていたら、「フジテレビの新番組が夕方から始まります、その番組に出る女の子を募集しています」というお知らせがあったんです。
「あっ、おニャン子が出ていた『夕やけニャンニャン』と同じ枠だ」と思いました。その時、本当にたまたま、アルバイトをしようと思って履歴書を書いていたんです。そのタイミングでテレビを見て、「こっちにしよう」と思って、遠足の時の写真などと一緒に履歴書を送りました。
すると、1週間後にフジテレビからピンクの封書で、「1次審査に合格しましたので、フジテレビまできてください」という連絡がきたんです。誰にも言わずにオーディションを受けていたので、その連絡がきて初めて母親に言いました。
【中略】
オーディション会場は大きなスタジオで、椅子が並べられていて、プロデューサーの人たちが長椅子に座っていました。そこに10人ずつぐらいが呼ばれて、名前を言って、質疑応答が始まりました。
その日のうちに、オーディションは2次審査、3次審査と進んで、流れ作業のような中でドンドン落とされて、人が絞られていきました。審査は4次か5次くらいまでありました。最初は1000人以上いたんですが、最後には大きなリハーサル室に、100人くらいが残されたと思います。
途中、レオタードを着る審査もありました。そんなこと、誰も聞いてなかったので、みんな驚いていました。大きな段ボール箱が目の前に運ばれてきて、「中にレオタードが入っているので、各自、自分のサイズを見つけて着替えてください」と言われました。私は緑色の七分袖みたいなレオタードを着ました。
レオタード審査では、10人ずつ呼ばれて、また名前を言って、将来どうなりたいかを聞かれました。中には、「ちょっと1曲、歌ってみて」と言われる子もいて、私の隣がribbonの松野有里巳ちゃんだったんですが、有里巳ちゃんも「歌ってみて」と言われていました。
デイリー新潮 2025/02/15
https://news.yahoo.co.jp/articles/e357e566301707269a05eba668ea53743f264fad
引用元: ・「CoCo」元メンバーで料理研究家の宮前真樹(52)、当時バイト感覚で応募したフジテレビオーディション…まさかの「レオタード審査」に仰天 [おっさん友の会★]
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