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<30年の教訓 阪神から能登へ>㊥
1995年1月17日早朝、兵庫県などを襲い、6434人の命を奪った阪神大震災は、日本の災害対応や被災者支援策が見直されるきっかけになった。この30年間で学んだ教訓は、2024年の能登半島地震で生かされたのか。二つの被災地で人々の声を聞き、課題を探った。(城石愛麻、芝野享平)
◆体育館で毛布1枚「寒くてとても眠れない」
テレビの画面に映し出されたのは、体育館の床で毛布にくるまる被災者たち。1年前、能登半島地震の避難所の様子を見た佐々木勉さん(74)=神戸市灘区=は1995年1月を思い出した。「阪神大震災と同じだ」
当時、小学校の教諭だった佐々木さんは、学校に開設された避難所の運営を担った。震災当日、体育館や教室には1000人以上が身を寄せ、その日配ることができたのは、1人ソーセージ1本のみ。「受け取る列に並んだ人たちが『これだけ?』とあぜんとしていた」と話す。
引用元: ・【震災】「TKB48」が間に合えば救えた命が… 能登の避難所は1日パン1個、ほぼ野宿「阪神に戻ってしまった」 [nita★]
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