高虎の重臣・伊藤兵庫の子孫が伝えた文書類が、津市の石水(せきすい)博物館に昨年寄託され、そこに肖像画が含まれていた。
高虎は存命中に描く「寿像」を3幅残したとされるが、いずれも未発見。1幅は伊藤兵庫に与えられたとされ、今回の肖像画がそれであれば、高虎の面貌を知る最高の資料となる。
■苦み走った表情
高虎が3幅の寿像を残したことは、藤堂家の歴史をまとめた『宗国史』(1751年)の「遺像記」に記されている。
これによると、高虎は自ら絵師に命じて3幅を描かせ、家康の顧問として重用された僧・天海に讃文(仏教の法会などで詠唱する歌)を依頼し
藤堂藩2代藩主の高次のほか、重臣の井上十右衛門と伊藤兵庫に与えた。
寿像ではない高虎の肖像画はこれまでに10幅の存在が知られ、津市の四天王寺と三重県伊賀市の西蓮寺に伝わる2点が国重要文化財に指定されている。
産経新聞 2025/01/03 11:00
https://www.sankei.com/article/20250103-SWQ4VQTPDBNIDFL5YRPYGACM2M/
引用元: ・【歴史】厳しい眼光に苦み走る表情、戦国武将・藤堂高虎の素顔か 重臣家に伝わる幻の肖像画発見 [おっさん友の会★]
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