2004年のインド洋大津波では数百万人が被災した。史上最多の死者を出したこの津波では、インドネシア、スリランカ、インド、タイなどで22万5000人以上が命を落とした。
20年が経過した今も、津波の爪痕は深く残っている。犠牲者がここまで多くなった原因は何なのだろうか? 地域社会は次の津波にどのように備えているのだろうか?
津波は、地殻変動によって海が乱れ、一連の大きな波が陸地に向かって押し寄せる現象だ。海底を震源とする地震が原因となることが多いが、地すべりや火山噴火なども引き金となる。
世界の津波の80%は、「環太平洋火山帯」と呼ばれる地震活動が活発な地域で発生している。
人間の力で津波は防げない。だが、津波に備えておけば被害を最小限に抑えられる。津波予報は1941年に日本の仙台地方気象台で始まった。歴史的に津波の被害を多く受けてきた太平洋沿岸の三陸地方を対象に、津波の兆候が観測されると、地元のラジオ局を通じて警報が発せられた。
今では、国際的に管理された津波検知システムが太平洋沿岸の水位を測定し、津波が接近しているおそれがある場合には警報を発して、沿岸地域の住民が津波の到達前に避難できるようになっている。
太平洋とは対照的に、2004年当時、インド洋沿岸の小さな市や町に暮らす15億人を守るための津波検知システムは存在していなかった。この地域では津波はまれにしか起こらず、津波による死者も少なかったからだ。
インド洋では、1852年から2002年の間に記録された50回の津波のうち、死者が出たのは7回だけで、150年間の犠牲者の合計は5万人を下回っていた。
そのためインド洋沿岸地域では、日本のように学校で定期的に津波避難訓練を行ったり、津波の前の地震に備えて建物を耐震化したりするなどの対策がされてこなかったのだ。
インドネシアのスマトラ島は、インドプレートとビルママイクロプレートの境界付近に位置している。現地時間の2004年12月26日午前7時58分、海底でプレートが大きく破壊されて、マグニチュード9.1の巨大地震が発生した。
「この地震で放出されたエネルギーは広島型原爆2万3000発分と非常に大きく、数百年の間に徐々に蓄積されてきたと考えられます」と、地震学者のバリー・ヒースホーン氏は言う。
この地震により、地球の北極の位置が2.5センチメートルずれ、1日の長さは約2.68マイクロ秒短くなった。
「海底で発生した地震は海底を持ち上げます。海水が長さ1000キロメートルにわたって垂直に持ち上げられてから、重力で下に引っ張られると想像してみてください」とヒースホーン氏は言う。
「海岸にいる人がこの状態の海を見たら、ふだんの波とは似ても似つかないものが見えるでしょう。蒸気ローラーが道路を平らにするように、水の塊が内陸に向かって押し寄せてくるのです」
午前8時過ぎ、インドネシアのアチェ州では、家や建物から飛び出してきた人々が、地震の被害状況を確認していた。そして彼らは、もう1つの災害が自分たちに向かってくるのを見た。
地震発生から20分後以降、最高で50メートルを超える津波が海岸に押し寄せ、木々をなぎ倒し、道路を急流に変え、人々をさらっていった。
その後、数時間にわたって、いくつもの巨大津波が、時速800キロメートルの猛スピードでインド洋を駆け抜けた。ジェット機の巡航速度なみの速さだ。
津波は地震発生から2時間後にはタイ、スリランカ、インドに到達し、さらに数時間後にはアフリカの一部の海岸に到達した。
アチェ州最大の都市バンダ・アチェは、津波により甚大な被害を受け、人口の4分の1が亡くなった。バンダ・アチェの南西に位置する沿岸の町ロンガは、高さ30メートルの津波に襲われ、その人口は7000人からわずか400人まで減少した。
スリランカでは、津波が列車を襲い、約1700人が死亡する史上最悪の鉄道事故が発生した。
引用元: ・【地震発生から20分で高さ50mの大津波】死者22万人超、インド洋大津波から20年 今も残る深い傷と教訓
「しばらくして水位が下がりました」と彼女は言う。「母はすぐに見つかりました」。母親は死亡していた。
「私は母の結婚指輪を抜き取り、母にキスをしました。そして『必ず迎えに来るからね』と言い、母を車内に残してその場を離れました」
この災害は、インド洋から遠く離れた国々にも影響を及ぼした。冬休みを過ごすため、欧米から数千人の観光客が現地を訪れていたからだ。
スウェーデンでは、休暇でこの地域を訪れていた約550人の国民が犠牲となり、1500人が負傷した。
津波は世界を一変させた。2014年12月13日付けで医学誌「ランセット」に寄稿したジャーナリストのクリス・マッコール氏は、「約180万人が避難を余儀なくされ、約46万戸の家屋が損壊または全壊した。10年が経過した今でも、これらの数字の多くは暫定的なものである。被害が大きすぎて、真実を完全に把握することは不可能だったのだ」と記している。
世界は迅速に対応した。国連は救援基金を創設し、62億5000万ドル(当時のレートで約6600億円)を集めた。この基金は14カ国を支援することを目的としていたが、その大半は最も大きな被害を受けたインドネシアとスリランカに送られた。
復興プロセスには、将来の自然災害の被害を減らすための計画も含まれていた。2005年には、ユネスコ政府間海洋学委員会(IOC)の支援を受けて、インド洋津波早期警戒システムが構築された。
このシステムは、津波の初期の兆候を検知して、27カ国の地域社会に迅速に警報を発し、津波が陸地に到達する前に地域住民が高台に避難できるようにするものだ。その後、太平洋や大西洋にも、改良された警報システムが配備されている。
各国政府や非政府組織も、津波の際に住民が適切に行動できるように、地域社会に教育を行うプログラムを実施している。
2004年に津波に遭ったスパラット・スリラオさんは、水から這い上がった後、生死も分からない息子を夫とともに捜し続けた。そして3日目、夫が息子を発見した。息子は無事だった。「本当に奇跡でした」と彼女は言う。
22万5000人の犠牲者の家族は、彼女ほど幸運ではなかった。しかし、新たに策定された津波対策のおかげで、次に津波が襲来する時には、インド洋全域の人々が生き延びるチャンスはもっと高くなっているはずだ。
双葉グロ板の超有名コテ「三度の飯より子供の死体」通称「三度飯」が
スマトラ島へ子供の死体写真撮りに行って双葉グロ板に貼られた岸に打ち上げられた子供の死体の山に絶句したよその後、双葉グロ板は荒らされ閉鎖
三度飯はロリ買春で逮捕
ネットの1つの時代が終わった感があった
多数の津波映像がネット上に貼られたことが時代を象徴しているよね
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