石破元幹事長は同日行われた決選投票で215票を獲得し、194票だった高市早苗・経済安全保障担当相を21票差で抑え当選した。石破元幹事長は9人の候補者が乱立した今回の総裁選挙の第1次投票では154票で高市氏(181票)と27票差の2位だったが、決選投票で劇的な逆転に成功した。
石破新総裁は2008年を皮切りに2012年、2018年、2020年と4回にわたり総裁選挙に挑戦したが、いずれも苦杯をなめた。しかし「最後の挑戦」と宣言した今回の選挙でついに勝利を手にした。石破新総裁は父親も政治家の世襲一家だ。父の故・石破二朗氏は官僚を経て政界に入り、鳥取県知事や自治大臣などを歴任した。
石破新総裁の祖父も鳥取県知事や自民党幹事長を歴任した。石破氏は慶応大学法学部を卒業後、数年銀行員として働き、父の死後に当時政界の大物で父の友人でもあった故・田中角栄氏の勧めで1983年に田中派の事務所で働き始め、政界に足を踏み入れた。
29歳だった1986年に鳥取県から出馬し、当時最年少の衆議院議員として当選。その後は現在に至るまで当選12回を数える。石破氏が自民党総裁に挑戦したのは2008年からだ。この時は、1回目の投票で過半数を獲得した麻生太郎氏があっさりと勝利した。その後も2012年と2018年には晋三氏と対決し、2020年には菅義偉氏、岸田文雄氏と戦った。
これら一連の過程を経て石破氏はいつしか一般国民の世論調査で常に次期首相候補として1位か2位となり、地方の党員からは高い人気を集めるようになった。実際に2012年の総裁選挙では1回目の投票で1位となったが、当時は派閥トップの支持が結果を左右する時代だったため、2回目の投票で晋三氏に敗れた。政権初期には内閣の一員にもなったが、2016年以降は閣僚や党の要職には就かず、政権に批判的な立ち位置を常に維持しながら「苦言を呈する人物」と認識されてきた。
石破新総裁は韓日の歴史問題では右翼勢力とは違った声を上げてきた。2019年8月に韓国政府が韓日軍事情報保護協定(GSOMIA)終了を決めた直後には自らのブログを通じ、ドイツによる戦後の反省に言及しながら日本政府を批判した。石破氏はこのブログで「わが国(日本)が敗戦後に戦争責任を正面から直視しなかったことが多くの問題の根源になっている」「この状況が今日さまざまな形で表面化していると思う」と指摘した。さらに「日本にも韓国にも『このままで良いはずがない。何か解決して過去の小渕首相-金大中大統領時代のような良い関係に戻ってほしい』と考える人は少なくないだろう」と訴えた。
ミン・ソヨン記者
朝鮮日報日本語版 2024/09/28 11:15
https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2024/09/28/2024092880022.html
引用元: ・【朝鮮日報】日本の石破新総裁、韓日の歴史問題では右翼勢力とは違った声を上げてきた [9/28] [ばーど★]
発言一つで即短命政権決定だからな
それはない
もしそうなら岸田はとっくに退陣してる
朝鮮人とはちょっと違うタイプのその場最適、それが I・Shi・Ba!
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