ご存じ、日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークである。3本足のカラスは、神武天皇が日本建国のため熊野(紀伊半島南部)から
大和(奈良県)へ向かう際、郷導(道案内)した八咫烏(やたがらす)であると、古くからいわれてきた。
だが今、このシンボルマークを巡り問題が起きている。育鵬社の中学歴史教科書が、このマークは八咫烏がモデルであると
記述したところ、JFAから修正を求められたのだ。
JFAによれば、マークの由来は八咫烏だけでなく、中国の古典に出てくる三足烏(さんそくう)でもあるという。
育鵬社は修正を検討しているようだが、なぜ、日本サッカーのエンブレムが中国由来なのか、驚きである。
シンボルマークの歴史は古い。戦前のサッカー指導者であった東京高等師範学校(現筑波大学)教授、内野台嶺(たいれい)らの
発案を基に彫刻家の日名子(ひなご)実三がデザインした。それをJFA(当時は大日本蹴球協会)が採用したのは昭和6年、
実に90年以上も前である。
内野は、東京高師の大先輩であり、日本サッカーの生みの親といわれた中村覚之助を敬い、中村の出身地にある熊野那智大社(和歌山県)
に祀(まつ)られた八咫烏を題材にした。
一連の経緯は同大社のホームページなどに詳しいが、中国の三足烏のことなど、どこにも出てこない。
断言できるのは、戦前、神鳥の八咫烏と他国の鳥を一緒にするなんて、ありえない、ということだ。
JFAは戦前、3本足の鳥が何であるかを特に説明しなかった。3本足といえば八咫烏だと、誰もが知っていたからである。
ところが戦後、昭和40年代の終わり頃からJFAの刊行物などに「三足烏も由来」とする説明が出てくるようになった。
なぜか―。明確な理由を示す文献はない。ただ、当時は自虐史観が吹き荒れ、神話が全否定されていた。
JFAにも抗議や批判が寄せられていたのかもしれない。
そう考えると合点がいく。JFAは、このシンボルマークを守るために、三足烏の説明を加えたのではないか。
もしそうなら、時代が変わった今、JFAは堂々と、制定時の由来を語るべきだ。
八咫烏は「導きの神」といわれる。シンボルマーク本来の、正しい説明に導いてほしい。
2024/9/7 09:00
https://www.sankei.com/article/20240907-KIESHNSJSVKATFHNX72UEGSF4Y/
※関連スレ
【産経新聞】 日本サッカー協会、マークの由来は「八咫烏」だけでなく中国古典も 教科書に修正要請 [9/3] [仮面ウー★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1725336173/
引用元: ・【産経新聞】 「八咫烏」はチャイナ由来のシンボルなのか [9/7] [仮面ウニダー★]
>断言できるのは、戦前、神鳥の八咫烏と他国の鳥を一緒にするなんて、ありえない、ということだ。
(;`ハ´) 三足烏(さんそくう)はナイアルw
八咫烏が三足烏由来というならともかくw
コメント