2024年9月6日 14時56分「少年ジャンプ読めます!! 1冊だけあります」
東日本大震災の直後、仙台市の書店に張られた手書きのメッセージを見て、たくさんの子どもが集まりました。
物流が止まる中、店主が入手した最新号の1冊は、ボロボロになるまで店頭で読まれ、後に“伝説のジャンプ”と呼ばれるようになりました。
被災地の子どもたちに笑顔と安らぎを与えたまちの書店が、惜しまれながら店を閉じたのです。
(仙台放送局記者 吉原実)
“怖がる子どもたちに楽しみを”
「電子書籍などの流れには勝てなかった」
こう話すのは、仙台市青葉区の「塩川書店五橋店」の店主だった塩川祐一さんです。
親の代から62年間、営業を続けてきましたが、経営が難しくなり、8月末で店を閉じました。
閉店を前にした8月14日、取材に訪れてみると……店には名残惜しそうな常連客の姿がありました。
「だいぶお世話になりました。ありがとうございました。きょうが来店するのは最後だなと思ってお伺いしたんです」
この書店が全国的に話題となったのは、2011年3月11日の東日本大震災の直後でした。
“怖がる子どもたちに楽しみを与えたい”という地域の人の声に応え、塩川さんは地震発生からわずか3日後に店を再開させたのです。
塩川祐一さん
「『もし本屋さんが開けば、子どもに漫画とか絵本を買ってあげたいから開けられないかな』っていうのがことの発端だったんです。この話を2、3人くらいのお母さんから聞きました。なんとかできないかと、娘ととりあえず本を(棚に)いれちゃって、店内を通れるようにして店を開けてみました」
営業再開後、店には多くの人が集まりました。
塩川祐一さん
「本屋にはコンセントがあるので、高齢者に限って炊飯ジャーにお米と水をいれて持ってきてくれれば、炊飯に使ってもらっていました。みんなが不安なので、近隣の人が店に集まって話をしていました」
しかし当時、物流は止まり、店に並べられるのは在庫だけ。そんなとき、訪れた客のひとりが手にしていたのが、山形県で購入したという最新号の漫画雑誌でした。
「僕はもう読み終わったので、塩川さんも読んでください」と託されたのです。
そして、店頭の「少年ジャンプ読めます!!」の張り紙。
手に入れた貴重な1冊を店頭に置くと、口コミでも広がり、子どもたちが次々と訪れました。
塩川祐一さん
「ジャンプ、その他の雑誌を読みながら笑っている子どもたちをみて、それはそれで安心するし、よかったなと。その子どもの姿を見ている親もいるんですよ。お母さんたちもニコッとしたり泣いたりしているのをみると、それだけ親も苦しんだんだなって」
100人以上の子どもたちが手に取った漫画雑誌は、ボロボロになってもテープで補強され続けました。
こうした様子が全国紙などで紹介されると、それを見た全国の人たちからさまざまな雑誌が送られてくるようになったということです。
13年前、雑誌を読んだ子が店に
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240906/k10014571441000.html
引用元: ・「伝説の漫画雑誌」を生んだ書店 惜しまれつつ閉店
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