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2024/08/30 16:00
西田 亮介 日本大学危機管理学部教授/東京工業大学特任教授
大澤 聡 近畿大学文芸学部准教授
今年3月、「その『エモい記事』いりますか」と題した社会学者の西田亮介さんの記事が論争を呼んだ。執筆の背景には「最近の新聞記事は個人の感情に訴えるようなエピソードを優先しすぎて、エビデンスの提示やデータの分析が疎かになっているのではないか」という問題意識があったという。応答記事を執筆した大澤聡さんと新聞が抱える問題を語り合った――。
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目次
1.個人の感情に訴えるエピソードを優先しすぎではないか
2.「エモい記事のどこが悪い」朝日社内からの批判的な書き込み
3.批評が批評として受け止められなかった
4.「派生的なビュー数だけ稼ぎたい」ように見える
5.もっと開いたところで議論すべきなのに…
6.新聞を読んでいる世帯は全体の半分以下となった
7.「知的中間層」が新聞を買い支えた黄金時代
8.なぜ昔の人は「読みもしない百科事典」を買いそろえたのか
9.朝日新聞のような100年以上生き残ってきた媒体の役割
10.「石丸現象」の根元にあるイメージ政治への危惧
11.普通選挙と同時期にメディアの側が推し進めていた
12.若者のコミュニケーションは写真や動画になりつつある
13.なんでも「エッセイの言葉」にしてしまう新聞
14.言論全般がどの方向へ進むのかという分岐点
15.「売上を伸ばす=PV数を上げる」の限界
16.競輪と競艇のオンライン販売で売上を伸ばすABEMA
17.世界的にも新聞社のDXで成功例となった日経電子版
18.集合的で体系的なメディアのルートをどうやってつくるか
19.日本人は言語というコミュニケーションを手放す瀬戸際にある
20.もしもマクルーハンが今のメディア環境を見たら……
個人の感情に訴えるエピソードを優先しすぎではないか
【大澤】西田さんが朝日新聞デジタルのサイト「Re:Ron」に寄稿された〈その「エモい記事」いりますか〉という記事が大きな反響を呼びました。私も月刊誌『Voice』(7月号)に〈再「小新聞」化するジャーナリズム〉という論説を寄せて、歴史的な観点から応答せずにはいられませんでした。記事の経緯からお聞かせいただけますか。
https://www.asahi.com/articles/ASS3W319WS3WULLI003M.html
【西田】あの記事は、ぼく自身がもともと持っていた問題意識から書いたものです。最近の新聞記事は個人の感情に訴えるようなエピソードを優先しすぎて、エビデンスの提示やデータの分析が疎かになっているのではないか、と。
同じようなことは以前から述べており、例えば委員を務めている毎日新聞の「開かれた新聞委員会」が2023年夏に実施した座談会でも〈エピソード主体の記事に違和感がある。流行している印象だが、世の中が複雑になり、エピソードは一つの例に過ぎないだけに、それを読むことにどれだけの意味や理由があるのかと感じる〉と指摘しています。
朝日の記事では、こうした「エピソード主体」や「ナラティブ(物語)を強調する」傾向を「エモい(感傷的)」と表現してタイトルに入れてもらったところ、非常に大きな反響、反応を得ました。
【大澤】見出しのキャッチーさが先行する形で拡散力を持ったというのは、いかにもSNS時代らしいですね。
「エモい記事のどこが悪い」朝日社内からの批判的な書き込み
【西田】この記事は朝日新聞デジタルのプラットフォーム上で議論を巻き起こしました。有料会員が見られる「コメントプラス」という機能があり、外部の有識者や朝日新聞の記者、論説委員などが記事にコメントを付け、それを読者が読むことができる。ここに賛否両論のコメントが多数書き込まれたのです。
外部の方の書き込みは「私もそう思っていた」という肯定的なものも少なくありませんでしたが、朝日社内の方のコメントは「エモい記事のどこが悪い」という批判的な書き込みがほとんどです。奇妙なまでに。好きな人が集まってるんだな、と強く印象付けられました。
(略)
※全文はソースで。
引用元: ・なぜ新聞を取る人が少数派に転落したのか…生き残りをかけて「エモい記事」を氾濫させる新聞の根本問題 [少考さん★]
新聞は寿命だよ
どんなに上手く立ち回っても今の事態は避けられなかったよ
広告だけ配ってくれる所ないかな
スーパーにマメに立ち寄ればいいだけじゃ
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