8/29(木) 18:05 読売新聞
俳優の大東駿介さんは、小学生の時に両親が離婚。中学生になると母親が家を出てしまい、1年間ほど、一人で貧しい生活を送りました。親に捨てられたことで自分の価値を見失いかけましたが、俳優という夢を抱き続け、「広い世界のどこかに居場所がある」と信じることで乗り越えました。「外の世界にはあなたの気持ちを理解してくれる人がいっぱいいる。誰かに助けを求めてみて。乗り越えた先の人生は楽しいですよ」とエールを送ります。
小学校3年生の時に両親が離婚しました。母が近所のケーキ店のおばちゃんに、離婚の報告をしている会話を耳にして知りました。父親はタクシー運転手で、もともと家を空けることが多かったため、それほどダメージはありませんでした。
母は、大阪・堺市の自宅1階でクリーニング店を営み、一人で切り盛りしていました。いつも買い物などでちょっと店を空ける時、シャッターを半分開けた状態で出かけます。中2の頃、学校から帰るとシャッターが半開きの状態でした。母の帰りを待ちましたが、朝になっても帰ってきません。母が帰宅しない日が増えていき、その間隔は2日、1週間と広がり、最終的に全く帰ってこなくなりました。
中略
中学校は弁当が必要でしたが、母がいなくなってから持っていけなくなりました。昼食の時間を家に帰ってきて過ごしたり、先生から菓子パンをもらったりしました。先生の気持ちは本当にありがたかったのですが、気を使わせるのがしんどくなって、中2の途中から学校にも行かなくなりました。
第三者的には「つらいだろう」と同情するでしょうが、当事者としては生きるのに必死で、落ち込む余裕もありません。そんなことより、「両親に必要とされていない自分を、誰が求めてくれるのだろう」と自分の価値を見失ったことが一番苦しかったです。
中略
昼間、感情が爆発して、鏡に向かって喉がちぎれるくらいの大声で「殺すぞ」と叫んだこともあります。驚いた近所のおっちゃんが見に来て、すぐに帰っていきました。助けに来てくれたというより、「バレた」という焦りのほうが大きかったです。自分が一人取り残された状況が恥ずかしく、誰にも知られたくありませんでした。
「死」が頭をよぎったこともあります。でも、ふと冷静になり、怖くなって震えました。
その時、親が帰ってこないという悲しみが、怒りに変わりました。「ここで死んだらほんまに全部を奪われるってことやん。親が認めてくれへんなら、他の多くの人に認めてもらえるように生きよう」。生きて見返してやろうと決意しました。
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引用元: ・【STOP自殺】中学生の時、親に捨てられた大東駿介さん 救いになった俳優になる夢「乗り越えた先の人生は楽しい」 [muffin★]
乗り越えなくても生きたほうがいいって話にしろよ
既婚である事実をひた隠しにして女にアプローチしていいわけない
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