終戦6日前のことだった。朝鮮半島内陸部がいまだ平穏を保つ中、満州と国境を接する半島北東部は満州と同様、日ソ中立条約を破棄したソ連軍による突然の侵攻で直接、戦火にさらされたのである。略
驚くことに、要塞司令部は当時、民間人を見捨てている。
羅津府尹(市長に相当)の北村留吉が戦後に執筆した手記には、要塞司令官とのやりとりが記されている。
それによると、北村が8月9日に要塞司令官に会って、戦況を訊くと、「ソ連の来襲は、みな奇異に感ずるが、アメリカその他への義理合上、参加したもので、真から日本と闘う意志があるとは思えない。(中略)丁度、張鼓峰事件※の時のように」と答えた。市民への被害を懸念すると、要塞司令官は「避難命令を出す必要はない」と明言した。
要塞司令官は、今回のソ連軍による空爆について、張鼓峰事件と同様の偶発的な衝突であり、まもなく停戦になるという楽観的な見通しを示し、民間人を避難させる必要はない、と足止めさせていたのである。しかし、実際はソ連が日ソ中立条約を破棄して対日宣戦布告したことは、すでに記した通りである。
北村は翌10日午前、要塞司令部を訪ね、司令官と再び会う。司令官は幕僚と司令部庁舎前に集まり、「何事か協議中」(北村の手記)だった。
北村があらためて市民の措置について意見を質すと、司令官は「まだ市民の避難は時機でない。おそらく、もう停戦命令が下りるであろう」と、前日と変わらぬ考えを示したという。
このころ、軍は憲兵隊と共に、府民に知られないように姿を消していた。「軍機保持のため」と、その理由を後に明らかにしている。
北村が住民に避難命令を出したのは10日午後2時のことだった。避難の遅れは100人を超す民間人の犠牲を生んだ。
引用元: ・「偉い人の逃げ足は速い」ソ連軍の奇襲をよそに、民間人を見捨てて姿を消した日本軍と憲兵隊 [902666507]
普段勇ましく戦争を煽る奴らほど逃げ足が速い
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