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元陸軍ガス兵の102歳男性「日本は負けると皆思ってた。もっと早く負けたらよかったのに」

元陸軍ガス兵の102歳男性「日本は負けると皆思ってた。もっと早く負けたらよかったのに」
1: 名無しさん@涙目です。(東京都) [KR] 2024/08/15(木) 13:28:47.11 ID:ca54WPVY0 BE:902666507-2BP(1500)
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太平洋戦争で旧陸軍ガス兵の訓練を受けた元高校教諭、永見小太郎さん(102)=滋賀県近江八幡市。同じ部隊の兵士は「私以外、みな戦死した」。足元に爆弾が落ち、機銃掃射に遭い、自宅が全焼するなど何度も九死に一生を得た。戦後79年。「戦争は絶対にあかん」と訴えている。
大阪市生まれ。14歳で卸問屋などへでっち奉公し、19歳で太平洋戦争になった。働きながら夜間中学へ通い、22歳の春に召集された。

「いよいよか。立派な体格じゃないし、兵隊が務まるか…」。終戦1年前の当時は盛大な見送りはなく、人知れず神社で町の役員らに見送られ、学校で日章旗を贈られた。入隊後、軍服はつぎはぎだらけ、サイズの合う靴がない。靴が小さいと言うと1等兵から「足で合わせ!」と怒られた。食べ物は大豆7割の飯と具がほとんどない汁だった。

ある日、馬の水飲み場で「顔を漬けろ」と命じられた。長く息を止めて顔を上げると、部隊で「一番息が長い」としてガス兵に選ばれた。進軍して敵の毒ガスを無毒化する役目。約1カ月の訓練後、出征前に「家で待機」となった。しかし、待てども戦地に送られず、同じ部隊の残りの人は先に出征。途中で船が沈められて、全員戦死したという。

しばらく鉄道局で当直をして泊まった。「街中で死んでも誰にも見つけてもらえない。死ぬなら職場で」との思いだった。終戦前日の8月14日、朝から空襲警報が鳴り「もう鉄道局を守っても仕方がない」と電車に乗り、母、妹がいる疎開先へ逃げた。途中、電車が止まり、全員が降りて田んぼのあぜに散らばり伏せた。「バリバリ」と銃撃の音が響いた。戦闘機の空襲だった。

「当時は、もう日本の飛行機はおらへん。すれすれの低いところを飛んで、笑いながら撃ちよるのが見えた。向こうは遊んどる」と憤る。戦闘機は何度も旋回。「生きた心地がしなかった」が、無事だった。

「(終戦の頃は)負けると思っていたけど、みな自分を守るのに必死で口に出せなかった。終戦が遅れたことで、たくさん国民が犠牲になった。もっと早くに負けたら良かったのに」
以下略
https://news.yahoo.co.jp/articles/327b5fd0385268033ee3ffdb8764c002ca0457b8

引用元: ・元陸軍ガス兵の102歳男性「日本は負けると皆思ってた。もっと早く負けたらよかったのに」 [902666507]

2: 名無しさん@涙目です。(茸) [DE] 2024/08/15(木) 13:31:04.83 ID:Zov7JNiQ0
共産党見ればわかるだろ現実なんかどうでもよくて自分が気持ちよくなれればそれでいいって連中だぞ?
3: 警備員[Lv.34](茸) [FI] 2024/08/15(木) 13:31:08.29 ID:WkJdqjqn0
おい、小太郎!

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