昭和30年の保守合同によって誕生した自民党で、総裁選が初めて行われたのは翌31年4月5日のことだった。
地方の党組織の確立を急いだ時期で、国会議員に地方代議員を加えた選挙となった。
当初は旧民主党の鳩山一郎と旧自由党の緒方竹虎との争いとみられていたが、1月に緒方が急死。有力な対抗馬がいなくなり、鳩山が圧勝した。
■飛び交う空手形
鳩山が同年11月に退陣を表明すると、後継を岸信介、石橋湛山、石井光次郎の三者が争った。それぞれ党内での勢力、人気が伯仲しており、初の本格的な総裁選と位置づけられている。
投票によるしこりを避けるため、長老による話し合いでの決着が模索されたが、実現しなかった。
総裁選では現金やポストの空手形が飛び交ったといわれ、当時の産経時事(現産経新聞)は「岸派のグランド・ホテル、石橋派の日活会館、石井派のプリンス・ホテルの事務所ではそれぞれおそくまで参謀会議が開かれた」と報じていた。
主流派の岸と非主流派の石橋、石井という構図となった総裁選は同年12月14日に行われ、第1回投票で1位岸、2位石橋、3位石井となったが、岸は過半数を獲得できなかった。
党則により岸、石橋の間で決選投票が行われ、2位・3位連合を結成した石橋が258票を獲得し、251票の岸に7票差で勝利した。
今年9月の総裁選に関し、岸田文雄内閣の支持率低迷を受け、多くの候補者による論戦を通じ党勢回復を図るべきだとの意見がある。
候補者が乱立すれば決選投票にもつれこむ公算が大きいだけに、閣僚経験者は「派閥は解消したが、決選投票ではまとまって行動したい」と話している。
党の黎明(れいめい)期と同様、決選投票での合従連衡が焦点となりそうだ。
解党して出直せ
イギリスのように、2週間後にし、党員の票も加算するべき。
どうせもう首相は裏で決まってるんだろ?
早く選挙しろよ野党に落としてやるからさ
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