-大韓民国の根確認、返還議題めぐってセミナー
全北愛郷本部のユン・ソクジョン総裁と役員など約20人は5月31日から1泊2日間の日程で、日本対馬島の歴史探訪を推進し、過去の歴史を振り返ってみる時間を持った。
歴史探訪団は、釜山から49.5キロ離れた対馬島を訪問し、崔益鉉(チェ・イクヒョン、号は勉庵[ミョンアム])先生の草堂址と朝鮮通信使歴史館、徳恵翁主の結婚奉祝記念碑、百済王仁博士の顕彰碑などを見学し、対馬島の返還議題などに関するセミナーを開催した。
歴史探訪の案内を受け持ったイ・ヒョング全北愛郷本部理事ならびに大韓民国対馬返還運動本部議長は、「世宗大王は1419年、李従茂(イ・ジョンム)将軍をもって、対馬で起こる日本人たちの無法行為を断絶させて、朝鮮500年の間、対馬島の島主が朝鮮王から官職を受けたという記録と対馬島が朝鮮領土と表記された地図などの資料がある」として、対馬島は大韓民国領土だと話した。
続けて、「李承晩大統領が政府樹立3日目である1948年8月18日、日本に対馬島返還促求声明を出して以来、公式的にどの大統領も返還要求をしていない」とし、国民たちが返還運動に出なければならないと強調した。
現在、対馬島にはチェ・イクヒョン先生の草堂址、徳恵翁主の結婚奉祝記念碑、百済国の王仁博士顕彰碑などの跡がある。
チェ・イクヒョン先生は1905年、乙巳勒約が締結されると、抗日義兵運動の展開を促求しながら全北泰仁(テイン)で義兵を集めたが、淳昌(スンチャン)で敗れた後、対馬島に流配された。チェ・イクヒョン先生の草堂址は1906年7月8日、対馬島に捕らえられたチェ・イクヒョン先生が囚われの身として閉じ込められていたところで、看守がサントゥ(※頭のまげ)を切ろうとすると怒鳴りながら断食を決行し、1ヵ月で餓死殉国した。
高宗が年老いてから生まれた娘である徳恵翁主は1925年、日本に強制留学で発ち、対馬島主の後裔である宗武志(そう たけゆき)と強制結婚した。結婚後、精神疾患に病んで、離婚や娘の死など悲劇を経験し、1962年に帰国しても順調でない生活の末、この世を去った。
百済学者の王仁博士は、千字文と論語、百済の文化を日本に伝え、飛鳥文化と奈良文化が花開かせる土台を作ってあげた人物だ。
全羅日報
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【新たに発見!】 日本の対馬が「韓国の領土」である“証拠”だというが…「古地図」入手という韓国学者 [1/17] [仮面ウー★]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1705441006/
引用元: ・【韓国歴史探訪団】 対馬島は「大韓民国のルーツ」確認、返還議題などセミナー開催[06/05] [LingLing★]
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