1940年、ヒトラーはソ連侵攻の準備のため、人里離れたこの森に秘密の軍事司令部を建設するよう命じた。
出来上がったヴォルフスシャンツェは、掩蔽壕(えんぺいごう)、シェルター、兵舎、発電所、鉄道駅を含む約200の建物からなり、1941年のバルバロッサ作戦(ソビエト連邦奇襲攻撃作戦)では実際に司令部として利用され、ピーク時には2000人以上の将兵がいた。
ヒトラーやゲーリングをはじめとする多くのナチス指導者たちは、作戦後も1944年までここで長い時間を過ごした。
ヴォルフスシャンツェは、ヒトラー暗殺未遂事件の現場にもなった。1944年7月、ドイツ陸軍将校クラウス・フォン・シュタウフェンベルクがヒトラーを殺害しようとして、会議室でスーツケース爆弾を爆発させたのだ。
会議室にいた4人が死亡、20人以上が負傷したが、肝心のヒトラーはテーブルの脚が盾になり、ほぼ無傷だったという。
やがてドイツの敗色が濃厚になり、1945年1月にソ連軍の侵攻が始まると、ドイツ軍はヴォルフスシャンツェを爆破して撤退していった。
ヴォルフスシャンツェの遺構は冷戦時代のポーランドではほとんど忘れられていたが、1989年に共産党政権が倒れて現在の体制になると、1990年代から観光地として開放されるようになった。
今では1カ月に数万人の観光客が訪れる名所になっている。最近では、ヒトラー暗殺未遂事件を題材にしたトム・クルーズ主演の映画『ワルキューレ』で一躍有名になった会議室を復元する工事も行われている。
この地域を管轄するワルミアン・マスール県警察の発表によると、発見された人骨はケントシンの警察官と検死官によって調べられた。
検死官によれば、人骨の古さを見ると1918年から1939年の間に埋葬されたと考えられるが、状態が悪く、死因は特定できないという。
そのため警察は犯罪が行われたと考える理由がなくなったとし、捜査を打ち切った。
一部の新聞は、人骨は生贄だったのではないかと推測している。親衛隊のトップだったハインリヒ・ヒムラーをはじめ、ナチスの指導者の中には、古代ゲルマンの異教的な思想に耽溺する者が多かったからだ。
引用元: ・【ナチスドイツの総統大本営だった狼の砦跡から手足のない5体の人骨を発見】生贄の可能性も
コメント