日本人の起源について、従来の「縄文人・弥生人の二重構造説」に代わって、「三重構造説」が流行(はや)っている。国立遺伝学研究所や理化学研究所など、いくつかの集団の研究が発表されて、各系統の呼び方は定着していない。
弥生人は、日本語と初歩的な農業とともに3000年ほど前に来た北東アジア(東北)系と、もっと後に来た漢民族に近い東アジア(関西)系の、前期・後期に分かれて来たというのだ。私は「縄文・前期弥生・後期弥生」と呼んでいる。今後の学説は、この線に沿って精緻化していくと思うので、読者にも知ってほしいと思う。
これは、ヒトゲノムについての研究が、21世紀に入って進んだ影響が大きい。例えば、絶滅したとみられていたネアンデルタール人も、現代人の先祖の一部であることなどが分かった。日本人の起源についての認識も根本的に変わりそうだ。
縄文時代は1万6000年前あたりに始まったが、旧石器時代の日本人と同じかは不明だ。全盛期に30万人ほどだが、末期には数万人に減っていた。
そこに3000年前ごろ、満州の西遼河地方にいた民族が朝鮮半島や日本列島に南下した。この前期弥生人たちが日本語をもたらしたことがゲノム分析から明らかになった。日本語が、韓国・モンゴルなど広い意味でのアルタイ語系の文法を持つ謎が解ける。
その後、稲の水田耕作が、中国江南地方・山東半島・朝鮮半島沿岸を経由して九州にやってくる。これが、どの程度の移民を伴うものだったかは未解明だ。ただ、3世紀の古墳時代の開始以降も、奈良時代まで継続的に漢民族に近い後期弥生人が流入してきたことは間違いない。
歴史的に「帰化(渡来)人」と言われるのは、そのうち、4世紀の国家統一以降に渡来してきた人たちをいうが、それ以前の渡来人も含めた後期弥生人は、日本人の祖先の4~7割、前期弥生人が2~5割、縄文人が1割強らしい。
特に、北九州から関西にかけては後期弥生人が圧倒的である一方、東北では縄文人も2割くらいおり、前期弥生人の多さが目立つ。いわゆる蝦夷(えみし)は縄文人でなく前期弥生人が主体ではないかともいう。
縄文人比率は、沖縄・南九州の一部では3割くらいであり、アイヌは縄文人に弥生人やオホーツク系民族が混血したものらしいが、どのような経緯をたどってそうなったかは決め手がない。アイヌをめぐって、未解明なものをこうだと決めつけて政治的に利用するのは、いかなる立場でも考えものだ。
■八幡和郎(やわた・かずお) 1951年、滋賀県生まれ。東大法学部卒業後、通産省入省。フランス国立行政学院(ENA)留学。大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任し、退官。作家、評論家として新聞やテレビで活躍。国士舘大学大学院客員教授。著書・共著に『さんはなぜリベラルに憎まれたのか―地球儀を俯瞰した世界最高の政治家』(ワニブックス)、『日本の政治「解体新書」世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書439)、『民族と国家の5000年史』(扶桑社)、『地名と地形から謎解き 紫式部と武将たちの「京都」』(知恵の森文庫)など多数。
5/21(火) 17:00配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d531ec32a3297a5a6e7f472f29c653258b61ca9a
引用元: ・【八幡和郎氏】日本人の起源…漢民族に近い後期弥生人が4~7割、満州民族の前期弥生人が2~5割、縄文人が1割強 [樽悶★]
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