◆「日本最高、世界五大自負東洋学研究機関」(省略…)
東京都文京区の東洋文庫。
東洋文庫モリソンコレクション。
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◆日帝の韓半島支配正当化、広開土王碑文誤読
東洋文庫オリエンタルホールに展示された広開土王碑拓本。
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広開土王碑の日本関連記録を説明した東洋文庫パネル。
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韓国人観覧客は1階のオリエンタルホールはいったん飛ばし、モリソンコレクションがある2階に先に行くことを勧める。オリエンタルホールに展示された広開土王碑拓本で気に障り、観覧自体が不快になるかもしれないからだ。拓本は20世紀初め、日本の考古学界を率いた学者の中の一人で、韓半島でも活動した梅原末治が寄贈した。
広開土王碑文に関する東洋文庫の説明から見よう。
約1800字の漢字で記録され、4世紀末から5世紀初めにかけての韓半島の歴史だけでなく、当時「倭」と呼ばれた日本との関係を知る上でも重要な史料です。
東洋文庫の関心が広開土王碑文が叙述した日本との関係に傾くのは当然だ。
「後ろから3行目の文章を見てください。 倭国(日本)の勢力が韓半島に到達したことを記録しています」
「通説」と明らかにし、該当文章の解釈も付け添えた。
「百済と新羅は、古くから高句麗の従属国で、高句麗に貢物を捧げてきており、391年に倭が来て百済、新羅を撃破し支配した。396年、広開土王は自ら軍を率いて百済を討伐、城を攻撃して落とした」
倭の韓半島到達と百済、新羅撃破支配に言及したことは、古代日本が韓半島を支配したという意味だ。日帝が韓半島支配の歴史的正当性、云々して提起した「任那日本府説」(日本大和政権が4世紀後半に韓半島南部地域に進出して百済、新羅、伽耶を支配し、伽耶には「日本府」という機関を置いたという説)に他ならない。
19世紀末、広開土王碑が発見されると、日本の学者たちの関心は熱かった。拓本を東洋文庫に寄贈した梅原をはじめ、鳥居龍蔵、関野貞、今西龍、池内宏など、有名な学者たちが直接訪問して報告書を書いた。彼らはこの文章を神功皇后が韓半島南部地域を征伐したという「日本書紀」(日本の古代歴史書)の内容を裏付けるものとみなした。白鳥庫吉は広開土王碑を日本に移転しようとする試図まで行ったという。2004年に開かれた高句麗研究財団(現在の北東ア歴史財団)主催の学術大会に参加したある西洋人学者は、広開土大王碑文の解釈を含め、明治時代(1867~1912年)の日本の歴史叙述が「国家の政治的必要性に服従する限界から抜け出せなかった」と皮肉った。
韓国学界が積極的に対応しながら、該当文章解釈は広開土王碑をめぐる最も熱い論争になった。日帝の碑文捏造説まで提起されるほどだった。韓国の学界は、概して韓半島に渡ってきた倭を高句麗が撃破して新羅を救援したと解釈する。
4世紀の日本の状況を見れば、古代日本の韓半島支配説は成立し難い。初期の中央集権的な形態を備えたのが5世紀初めで、6世紀でも九州地方勢力の妨害で海を渡ることが難しかった大和政権には、そのような力量がなかった。
◆東京国博、「先進性を見せてくれる百済との交流」…食い違う視線
東京国立博物館平成館の古代韓半島関連遺物。
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(…省略)日本最大、最高の博物館とされる東京国立博物館が、平成館に展示した韓半島から伝播されたり韓半島の影響を受けて日本で作られた遺物を、どう説明したのか見てみよう。
「韓半島南部の影響で、このような柄の頭を持つ大きな刀が日本列島に普及した」
引用元: ・【広開土王碑】 倭の韓半島支配証拠?…根深い日本の古代史歪曲[05/06] [LingLing★]
半島にも前方後円墳出てるやん
日本の支配やん
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