2024年05月02日 昭和57年2月、48時間の間に2つの巨大事故が発生した。死者33人、負傷者34人のホテル・ニュージャパン火災と、死者24人、負傷者149人の羽田沖日航機墜落である。
2つの現場で懸命の救助作業が行われる一方、刑事責任の追及という新たなミッションも始まった。この2つの事故で、現場検証や遺体の取り扱いに始まり関係者の捜査、逮捕まで深くかかわった人物の1人は、
当時の警視庁鑑識課長・田宮榮一氏だ。田宮氏の証言とともに、横井社長の逮捕やK機長の刑事責任追及を断念した経緯などを振り返る。
(前後編記事の後編・「新潮45」2009年7月号掲載「シリーズ『昭和』の謎に挑む 4・ホテル・ニュージャパン火災と羽田沖日航機墜落 警視庁が呪われた48時間」をもとに再構成しました。文中の年齢、役職、年代表記等は執筆当時のものです。文中敬称略)
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連日の大惨事で鑑識課は混乱
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05021041/?all=1
引用元: ・入院中のK機長を目撃して「これは明らかにおかしい…」 羽田沖日航機墜落事故はなぜ1人も起訴できなかったのか【警視庁元鑑識課長の証言】
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