長谷部さん:当時はとっさに人生終わった…と思ってしまったんです。自分で言うのもなんですが、妊婦として結構な優等生だったと思うんです。適度に体を動かして睡眠も十分にとり、飲み物はカフェインが入っていないルイボスティーにしました。食事も体にいいと言われるものを積極的に口にして、できるだけ真面目に過ごしていたんです。それなのにどうしてだろうって。自分が思い描いていた人生とあまりに違いましたね。
─ どんな人生を思い描いていましたか?
長谷部さん:かわいいお洋服を着せてママ友たちとランチとかして。お受験を頑張って有名校に入って、習い事もピアノやバレエ、フィギュアスケートなどいろいろ習わせて。ちょっと大きくなってきたら娘と一緒にショッピングに行くとか、そうしたキラキラしたものを思い描いていました。
私が勝手に願っていただけです。実際はダウン症があっても思い描いていた半分以上のことは出来ましたし、新たな人生が始まっていきましたが、当時はまったくそんな気持ちにはなれなかったですね。
─ 出産から1週間後に長谷部さんが退院。その1週間後に娘さんが退院されましたが、病院でも家でもかなり思い詰めてしまったとか。
長谷部さん:私があまりに精神的に不安定だったので、家族も私にかける言葉は気をつけていたでしょうし、腫れ物に触るような感じでしたね。私の行動に家族が不安を感じ、トイレは必ず開けっぱなしで鍵はしない。パジャマも病院で貸し出している紐つきのものではなく、被りタイプにするとか。夫も会社を休んで24時間つき添ってくれました。ご飯を買ってきて病室で一緒に食べたり、極力私がひとりにならないようにしていました
【中略】
─ 出産から1か月後にダウン症と診断されました。
長谷部さん:出産翌日に「ダウン症の可能性がある」と言われてから、ダウン症に関する本も情報も調べ尽くしました。だから頭ではわかってはいるんですけど、まったく気持ちが追いつきませんでした。ずっと心が機能不全に陥っている感じ。
家では母が、私が赤ちゃんのときに聴かせていたカセットテープを引っ張り出してきて。英語やイソップ物語のテープを聞かせようとしたんです。「知的障がいがあるっていうのに、何やってるの?無駄じゃない?」と言うと「わからない」と。障がいがあっても理解できるかもしれないし、やれることはやってみようという雰囲気でした。
【中略】
─ 話が少し戻りますが、旦那さんはダウン症の疑いがあると言われて診断が確定するまで、いかがでしたか?
長谷部さん:夫は何事に対しても冷静な人というか、事実と事実ではないこと(感情や思いなど)を分けて考えるタイプなんです。だからダウン症の可能性があると聞いたときも、私とは全然、受け取り方が違いました。もし、ダウン症だった場合、感情はおいておいて、まずどういう風にどういう風に育てていけばいいか。10年後、20年後までの未来を見据えていましたね。
私が「この先どうやって生きていけばいいんでしょうか…」といった状態だったときに、夫は子どもがダウン症かもしれない場合、どういう情報が必要なのか、日本と海外の違いなども含め、事例を調べて事実だけを集めていたと思います。
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2024年4月24日 6時30分
https://news.livedoor.com/article/detail/26289679/
引用元: ・フリーアナウンサーの長谷部真奈見さん、当時は「人生終わった、自分が思い描いていた人生と違い…」と…出産した娘がダウン症だった [おっさん友の会★]
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