マイクロンの取締役会は毎週月曜日にボイゼのエルマーのパンケーキハウスで、いつも朝5時45分に始まった。
J・R・シンプロットを中心とする全役員がつましい朝食を取りながらミーティングを始める。驚くべきことに田舎の場末のコーヒー店で、農民や機械業者や牧場主やポテト業者が、全世界を相手にする半導体戦略を話し合っていたのだ。
取締役会は夕方4時まで延々と続き、4時からはマネジメントブリーフィングが開かれた。
マイクロンは、こうした会社の内情をできるだけ秘密にしていたといわれている。
引用元: ・メモリ不足、コメ不足と同様に農協が原因だった [422186189]
「マイクロンは世界最高の製品を作っている」がジャック・R・シンプロットの口癖だった。しかし、アイダホ州の億万長者である彼は、主力製品であるDRAMチップの物理的な仕組みについては、よくわかっていなかった。
博士だらけの半導体産業のなか、中学すら卒業していない彼は異色の存在で、専門分野はジャガイモだった。それは、彼がボイシ市で乗り回している白のリンカーン・タウンカーを見れば一目瞭然だ。ナンバープレートが「MR SPUD(ミスター・ジャガイモ)」だったからだ。
それでも、彼にはシリコンバレーの優秀な科学者たちにはない才能があった。ビジネスの手腕である。彼は、フライドポテト用のジャガイモを機械で選別し、乾燥させ、冷凍する方法を開拓したことで、初めて財を築いた。
それはシリコンバレー風のイノベーションではなかったが、マクドナルドにジャガイモを販売する巨大契約を勝ち取ることにつながった。一時など、マクドナルドのフライドポテトに使われるジャガイモの実に半分を供給していたこともあった。

カレッジの学生でもやらんぞ
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