否が応でも、世界の中心にアメリカがある。トランプ氏が大統領になって、世界は再びそう思い知らされているのではないだろうか。トランプ大統領の行動や言葉に、世の中はいちいちはらはらと波立ち、良きにつけ悪しきにつけ影響を受ける。まるで世界のトランプ番長だ。
その一つに反グローバリズムもあるようだ。仕事が、生活が、国が、グローバルであること、インターナショナルで開かれていることが素晴らしいとされていた世の中に、「自国は自国民ありきで存在するべきである 」 と翻って、欧州も日本も「まさに……。実はそうですよね!」とばかりにじわじわ同調している。
もちろん、トランプ大統領の言葉に前へならえをしたわけではなく、すでに欧州は難民・移民問題が年々深刻になっていたし、日本は歴史的な円安による外国人の流入などがあり、こちらの事情も大きい。とはいえ、トランプ番長の、最初はショックでさえあった反グローバリズムに、気がつくと欧州や日本は足並みを揃えている。
(略)
日本語しか話せないのは強国の証明?
話は変わるが、このニュースは私に、日本に住んでいた学生時代、アメリカに留学して帰ってきた友人が言った言葉を思い出させた。
「私のアメリカ人の彼はスペイン語が話せるの。でも、それを隠しているのよ」。親が南米出身であることが知られると、自分への差別につながるからだと言う。日本はちょうどバイリンガルという言葉がもてはやされていた時代で、「バイリンガルを隠すなんて勿体ないなぁ」と私は呑気に思った。
同じ頃、クラスメートの一人が「日本人が英語を話さず、日本語のみしか話さないのは、戦後アメリカの植民地であることへの当時の人々の無言の抵抗だったらしいよ」と言った。なるほど一理ある、と思ったが、どちらかというと冗談として受け取り、「それにしても英語がここまでできない世界強国(当時は)なんて、残念すぎる」とやはり呑気に思った。
のちにパリに住み始めて、世の中には当たり前に3カ国語を話せる人が多いことを知った。しかし、そんな彼らの多くは先祖代々のフランス人ではなく、他国を祖先とするか、移民か移民の子たちである。自分の親の言葉、フランス語、そして英語を簡単にスイッチして流暢に話すのだ。
つい最近、そんな彼らの一人が「日本人は自国語しか話せないね」と、シャープに私に言った。それは長きにわたって世界的に知られる事実でも、はっきりと「自国語しか」と口にされたのは初めてだった。私は「そう。ちょっと恥ずかしいことよね」と本音で答えた。しかし彼女は、首を大きく振って言った。
「モノリンガル、それはある意味で強国の人たちにしかできないことよ」。
どうも私たち日本人は、戦後からずっとモノリンガルをキープし続けていることに、誇りを持っていいようではないか?! それに気づき、モノリンガル日本は栄誉な過去にして、次の日本の時代のステップとして多くの日本人が他国語を話せるようになるのは、悪くない。
反グローバリズム時代の東京の立ち位置
現在の反グローバリズム、ナショナリズムの中でさらに日本が世界の中で沈んでいくより、さまざまな国の人々と自ら交流し、視点を広げていけば、素敵なこともたくさんあるのではないか。
そして我らの東京も、やっぱり開かれたインターナショナルな都市となってほしいと、2025年の終わりに思う。実際、今、世界は 反グローバリズムとグローバリズムの間で揺れているが、新しい流れはその、いいとこどりに向かっているような気もする。
全文はソースで
(永末アコ:フランス在住ライター)
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/91969
引用元: ・日本語しか話せない「モノリンガル」は強国の証し、3カ国語を話すパリの友人が漏らした一言 [11/30] [昆虫図鑑★]
弱国だろ
とにかく英語は大事
日本がシンガポールになれない理由
ああ、負けてるなぁとは思う
これが今後は失われた50年、失われた100年になっていく
とにかく国民の英語力を上げろ