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「日産城下町」盛衰40年 東京の工場跡地は草刈り機往来 横須賀の未来は
日産自動車 追浜 跡地利用 経済 | 神奈川新聞 | 2025年11月20日(木) 05:00
日産追浜工場の興亡を3回連載で検証する。
日産村山工場跡地。緑化を目指す宗教法人が買収し、ロボット草刈り機が稼働する=9月、東京都武蔵村山市
最盛期に3千人余りが従事し、スカイラインやローレルといった名車を輩出した熱気は見る影もない。フェンス越しの広大な草地を日夜、ロボット草刈り機が往来する。
東京都武蔵村山市の南部に広がるのは、2004年に閉鎖された日産自動車の村山工場跡。過剰投資が招いた「日産城下町」の栄枯盛衰を物語る。それは、27年度末に追浜工場が生産撤退する横須賀市の未来か─。
工場閉鎖 自治体の無力
バブル崩壊後の日産は販売不振で工場稼働率が落ち込み、足元と並ぶ経営危機にひんしていた。最高執行責任者(COO、当時)のカルロス・ゴーンが国内5工場を閉鎖するリバイバルプランを発表した1999年10月の前日、日産役員が武蔵村山市長(当時)の志々田浩太郎を訪ねた。
「あす、村山工場の閉鎖を発表します」
62年に操業を始め、東京ドーム30個分の約140万平方メートルを誇る主力拠点。日産からの固定資産税と法人市民税は市税の1割を占め、市側も工場従業員向けに5千戸に及ぶ都営団地を建設して迎え入れた。一方的な通告は、40年にわたる共存関係の解消を意味していた。
「そんなこと、困ります」と志々田は食い下がったが、役員は「もう決まったことです」と繰り返す。都市近郊の工場は地価や人件費が固定費を圧迫し、経営の足かせになっていた。グローバル企業の決定を突き付けられた一自治体は、これほど無力なのか─。志々田はほぞをかんだ。
引用元: ・日産村山工場跡地 今も緑化地として公園のまま使途は決まらず剪定整備だけが行われている [618719777]
”日産村山工場跡地。緑化を目指す宗教法人が買収し、ロボット草刈り機が稼働する=9月、東京都武蔵村山市“
緑化地として公園のまま使うことが目的だよ?
“都市近郊の工場は地価や人件費が固定費を圧迫し、経営の足かせになっていた。
グローバル企業の決定を突き付けられた一自治体は、これほど無力なのか─。志々田はほぞをかんだ。”
いや、税金をたかるだけの自治体が、経営に口を出そうとする方がおかしいよ。
とりあえず変な開発されてないだけで御の字
