松本人志が突き付けられた「面白かったら全部チャラ」にならない現実
動画プラットフォーム「ダウンタウンプラス」で復帰を果たした松本人志。歓迎するファンがいる一方、性加害騒動についての説明不足を指摘する声も少なくない。
「笑えるから全部チャラ」とはならない今のお笑い界の現実について、ライターの冨士海ネコ氏が分析する。
お笑い界のレジェンド・松本人志さんが、吉本興業の動画プラットフォーム「ダウンタウンプラス」で約2年ぶりに姿を見せた。
生配信後、公式のXではスタッフに「最初泣きそうになってたな」とイジられ、「なってないよ」と照れくさそうに言い返していた松ちゃん。CMなし、しゃべりっぱなしという空間においてもその存在感は健在だった。
SNSでも「#ダウンタウンプラス」がトレンドワードにランクイン。ただ「待ってました!」「やっぱり最高」という声と同じだけ「まだ笑えない」「説明が先では?」という声が飛び交い、歓迎と違和感が共存した「令和の復帰劇」となった。
性加害報道後も会見はせず、沈黙を守って笑いの舞台から姿を消していた松本さんだが、動画内では裁判について少し触れていた。当初は裁判とお笑いを並行してやろうと思ったものの、思った以上に難しかったという。
だから活動をセーブしたし、週刊文春への損害賠償と訂正記事を求める訴えを取り下げたのは、話し合いがついたから。そもそも訴える側と訴えられる側の合意がないと裁判は始まらない、そういったことを話していた。
それは自分の沈黙や活動休止にはなんら後ろ暗いことはないという表明だったのだろうが、あくまでも週刊誌との決着に過ぎず、性加害そのものの有無については言及がない。そんな中での自社プラットフォームでの復帰は、「安全地帯に登場」という批判もあれば、「芸と人間性は別」という擁護もある。
「芸」と「罪」は切り離せるのか。松本さんの存在は、いま芸能界が抱える最大の問題を再び浮かび上がらせている。
「面白ければ正義」だったテレビの黄金時代と、「情」が通じなくなった社会
「面白ければどんな人間だっていいじゃん」。それが、かつてのテレビを支えた共通認識だった。数字が取れればOK。芸があれば人格は問わない。情が支配する世界では、大手の事務所や仲間が「もうええやろ」と言えば復帰できた。泣いて笑ってチャラ。そんな温度の中で、薬物や不倫などのスキャンダルを起こした多くの芸能人が復帰し、「名場面」が生まれてきたのも事実である。
だが令和では、視聴者がその舞台裏を知ってしまった。SNSで「被害者の声」に直接アクセスできる時代である。「面白い」と腹を抱えている誰かの笑いが、誰かの痛みの上に成り立っている可能性を、もう無視できなくなってしまったのだ。
だから「面白くなければテレビじゃない」という言葉は、免罪符どころか時代遅れの言い訳として眉をひそめられる、という事態を招いてしまっている。
記事全文
https://news.yahoo.co.jp/articles/f87546a6c693c42fc50fd28088afbf0874c66285
引用元: ・笑いたくても笑えない視聴者も 松本人志が突き付けられた面白かったら全部チャラにならない現実 [jinjin★]
ご自愛ください
金払ってまで見てんのによくわからん反応だな