一度地元を離れると数日、長い人だと1週間ほど全国各地を走り回る。ゆえに車内には寝台があるだけでなく、冷蔵庫や電子レンジを備え付け、完全に自室のような環境を整える人も少なくない。そんな車内生活に慣れたドライバーからは、「家のベッドよりも快適で快眠できる」という声が聞こえてくる。
こうして24時間道路上で生活し、良くも悪くもソロキャンプ感覚で仕事をしていれば、ワークライフバランスそのものを意識しなくなるのもうなずける。
しかし、彼らには「トラックが好き」である以上に「もっと働きたい」と主張する根本的な理由がある。
彼らは元々稼ぎたくてトラックドライバーになったからだ。
1989年に流行したフレーズがある。
「24時間戦えますか」――。栄養ドリンクのCMだ。
その挑発的な問いに対して「はい、戦えます」と高らかに手を上げた人たちのなかには、多くのトラックドライバーがいた。
トラックドライバーは当時、「ブルーカラーの花形」だった。過酷ではあったが、「3年走れば家が建ち、5年走れば墓が建つ」とまで言われるほど、働けば働いた分だけ稼げる職業で、実際、年収1000万円を稼いでいた人たちが珍しくなかった。
そんなドライバーの労働環境が一変した出来事がある。1990年の「規制緩和」だ。
これにより業界への参入が容易になり、それまで4万社だった運送事業者が6万3000社に急増。その直後にバブルが崩壊すると、同業者同士で壮絶な「荷物(仕事)の奪い合い」が起きる。
労働集約型産業である運送業において、同業他社との競争手段は「運賃を下げる」か、仕分けや検品、ラベル貼り、陳列、さらには数千個の荷物をひとつひとつ手で積み降ろす手荷役といった「付帯作業」くらいしかない。
こうして荷主至上主義が構築され、「過酷なのに稼げなくなる」という構図が出来上がってしまった。
現在、トラックドライバー(大型)の平均年齢は他業平均より5歳も高い50・3歳。つまり、元々稼ぎたくてこの業界に入り、当時「24時間戦える」「きつくてもいいから稼ぎたい」とした人たちが現在の物流を支えているのである。
そんな彼らに追い打ちをかけたのが、2024年4月1日に施行された「働き方改革」だった。
一般則から遅れること5年後、トラックドライバーにも同法が施行され、「もっと働きたい」としてきたドライバーに、さらなる労働時間の制限が課されたのだ。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/5a5760f5d7e3a5390f5e48637d101e9a07df2188
引用元: ・【経済】高市新首相「働け」発言にトラックドライバーが共鳴 かつては「年収1000万円」も珍しくなかったが…
外国人をドライバーとして働かせる意味よ
まだ走れるなら走りたいだろうな
ただ老人のドライバーには規制入れて欲しい