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から半ズボンへ 歴史を知って新たな視点でものごとを見るきっかけに
──顔という「とっかかり」を通じて、昭和~平成~令和の価値観の変化が伝わってきます。アラン・ドロンに代表される<ハンサム>の時代について振り返る章がありますが、今や、<ハンサム>という言葉が使われなくなっている。あるいは、芸能人の直筆が毎度SNSで話題になるほど、現代は<美文字>を見る機会が減っている。何が変わって何が変わっていないのか。同時に、その背景を考えるきっかけになります。
たとえば私が子供の頃、女子は体育の授業でをはいていました。おしりの形が出るをはくのが私はすごくイヤでした。当時、部活が終わると、着替えるのが面倒だからと、制服を鞄に入れて、のまま自転車に乗って帰る女子生徒がけっこういました。すると、その格好で帰るのは危ないからと、のまま帰宅するのは禁止になりました。
つまり大人はわかっていたわけです。が性的なビジュアルであることを。それを体育の時間にはかなくてはいけないのはヘンだと、ずっと思っていました。
2004年に小説『ツ、イ、ラ、ク』を書いたときに、をはいていたかどうか、編集部でアンケートをとってもらいました。90年代には半ズボンに変わっていたようで、これはいい変化の一例ですね。
については『うわべの名画座』に出てきませんが、このような変化を考えることで、新たな視点でものごとを見たり、捉えたりする機会になれば幸いです。
そういうことを考えるにあたり、主に映画を枕につかったわけで、繰り返しになりますが、本に出てくる映画を見ている必要はまったくありません。
まさに、三宅香帆さんが帯に書いてくださったように(<読むと絶対あの映画が見たくなります!>)、あくまでも読んだ後に、見たいと思ってくださるといいなと。
全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/68ea14acbe9f5d7ebbb3cc5e8d6e53ebeefc76ab
引用元: ・直木賞作家・姫野カオルコ「ブルマがイヤだった」「大人はわかっていたわけです。ブルマが性的なビジュアルであることを」 [ネギうどん★]