「自自公」から
「26年間の信頼関係をベースに、連立政権の仲間という関係はなくなるが、これからも一緒にやっていきましょう」
公明の斉藤代表は10日、自民の高市総裁との党首会談の最後にこう告げ、握手を交わした。
両党の関係は1999年10月、自由党を含めた「自自公」連立から始まった。小渕内閣は参院で少数与党となっていた。公明には、93年に「非自民」を掲げた細川連立政権に参加した当時、野党自民から「政教一致」と批判され、支持母体である創価学会の池田大作名誉会長の国会での証人喚問を要求された苦い記憶があった。自民との連立に応じたのは、同様の事態を避ける狙いがあったとも言われている。
時に摩擦も
2003年11月に現在の自公連立となってからは、安全保障など政策の違いから、時に摩擦が生じることもあったが、当時の両党幹部が調整を重ね、妥協点を見つけてきた。
04年の自衛隊のイラク派遣では、慎重な立場だった公明の神崎武法代表は自ら現地の治安状況を視察し、容認に転じた。14年には集団的自衛権の行使を巡り、山口那津男代表は「断固反対」と訴えたが、行使の要件を厳格化し、限定的に認める憲法解釈で合意した。
自民、公明党の26年の歩み
消費税率10%への引き上げでは、公明が食料品などへの軽減税率を強く主張。反対意見の多かった自民に連立離脱もちらつかせ、導入を勝ち取った。
09年から3年余りの野党時代にも、両党は関係を維持した。自民の大島理森幹事長と公明の漆原良夫国会対策委員長は連日面会を重ね、その密接ぶりは「悪代官と越後屋」とも呼ばれた。12年12月に第2次内閣で政権復帰してからは、晋三首相と公明前代表だった太田昭宏氏が良好な関係を築いた。
「下駄の雪」
近年ではパイプの先細りも指摘され、選挙協力を巡る衝突も表面化していた。
23年5月には衆院選の候補者調整が難航し、公明が東京都内全ての自民候補への推薦を見送ると通告。9月には選挙協力の復活で合意したが、公明の石井啓一幹事長が「自公の信頼関係は地に落ちた」と発言したことが波紋を広げた。
公明は自民との関係を「踏まれても踏まれてもついていく 下駄げた の雪」とやゆされることもあった。斉藤氏は10日の会談後、この26年間をこう振り返った。
「我々は小さい存在で、なかなか意見が言いにくかった。我慢してきた面もたくさんある」
読売新聞 2025/10/11 07:20
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20251011-OYT1T50005/
引用元: ・自公の「26年間の歴史」に突然の終止符…「政治とカネ」引き金に頂点に達した公明の不満 [蚤の市★]
マスコミから「支持率下がる写真しか撮れない」とクレーム入るぞwww