石破政権、約1年で終焉「何をしたかったのか」 続投意向も「屋台骨」失い瓦解
石破茂首相(自民党総裁)は7日、退陣を表明した。昨年の衆院選に続き7月の参院選でも大敗し、自民の政権として初めて衆参両院で少数与党に転落。首相はその後も続投に意欲を示したが、これ以上の政権運営は不可能と判断した。石破政権は昨年10月の発足から約1年で幕を閉じる。
https://www.sankei.com/article/20250907-LRCT3CCQWFMVZD5L4CGMAN3XXI/
引用元: ・石破首相の1年 お友達内閣、発言のぶれ、指導力の無さ 「最後まで評論家のようで何がしたかったのか」 [478973293]
支持回復期待され総裁選勝利
首相は昨年9月の党総裁選で、高市早苗前経済安全保障担当相との決選投票の末、勝利を収めた。総裁選には5回目の挑戦だった。当初は20人の推薦人集めにも苦労し、下馬評は低かった。だが、有力だった小泉進次郎農林水産相が失速し、首相は党員党友票でトップの高市氏と1票差で2位に入った。決選投票では小泉氏を支持した議員らの多くが首相に投票し、勝利した。
首相は報道各社の世論調査で「次の首相にふさわしい人」の質問で上位の常連だった。このため総裁選直後は党内からも「政治とカネ」の問題などで低迷していた党の支持回復に期待があった。
発言にぶれ…衆院選で大敗
歯車が狂い始めたのは党役員や閣僚の人事からだ。総裁選で争った高市氏や小林鷹之元経済安保相らの起用を見送る一方で、岩屋毅外相や村上誠一郎総務相、赤沢亮正経済再生担当相ら自身に近い議員で政権の陣容を固めた。党内では「挙党一致内閣をつくるべきだった」(若手)などと不満が膨らんだ。
さらに発言のぶれも目立つようになった。衆院解散・総選挙を巡り、首相は総裁選期間中、「国民に判断材料を提供する」として予算委員会の議論を経てから衆院を解散する意向を示していた。だが、党内の早期解散論に押される形で、予算委を開かず衆院解散・総選挙に突入した。
衆院選では派閥パーティー収入不記載問題を巡り、自民が非公認にした候補が代表を務める政党支部に活動費2千万円を支給したことなどが明らかになり、大敗した。
「熟議」掲げるも…野党に押され
少数与党に転落後は野党の意見に耳を傾ける「熟議の国会」と取り繕ったが、実態は野党の要求をのまなければ何も決められない政権運営だった。医療費の支払いを抑える高額療養費制度や年金制度改革では野党に押され、方針が二転三転した。2月のトランプ米大統領との会談後は一時的に内閣支持率が上向いたが、日米関税交渉の妥結は参院選後まで長引き、政権浮揚につなげることはできなかった。
指導力発揮の場面、乏しいまま
首相を支える人材も乏しかった。少数与党下で野党との交渉を頼れるのは人脈を持つ森山裕幹事長だけだった。その森山氏との足並みの乱れも目立った。首相が参院選を前に一時検討した消費税減税の導入は反対する森山氏に押し切られた。森山氏の重用が結果的に裏目に出たとの見方もある。
非主流派で「党内野党」だったころの首相は切れ味鋭い弁舌で注目されたが、実際に党を率いて難局を切り抜ける指導力や手腕を発揮する場面は乏しかった。防災庁の設置や地方創生の再起動などの政策を掲げたが、支持は広がらず、目立った成果を残せなかった。
首相は参院選の大敗後も「石破降ろし」の動きにあらがい続投の意向を貫こうとした。しかし、効果的な手立ては打てず、党内の分裂は深刻さを増した。自民中堅はため息交じりにこうつぶやいた。
「首相は結局最後まで評論家のようで、首相として何がしたいのか分からなかった」
全てがマスゴミ政治家
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