台湾の「国史館档案史料文物査詢系統」で、中華民国27年6月(1938年6月)から中華民国33年6月(1944年6月)にかけての抗日戦争での戦場手書き極秘報告集(電報)が
機密解除されていたのを発見した。宛先は蒋介石委員長で、書いたのは抗日戦争戦場における国民党側の各戦場現場指令官などである。 戦場において時々刻々変化する中での記録であり、鉛筆で書かれたものが多く、かつ時間節約のためか句読点がないので非常に解読しにくいが、432項目に及ぶ資料の中から、
今回は4枚の打電だけ抽出してご紹介する。
それによれば、中共軍は(日本軍との交戦がほとんどないため戦死者の数が極端に少ないことや、日本軍と共謀することによる日本側からの資金援助のためと
推測されるが)兵士の数が年々急増していることがわかる。
1938年以降なので第二次国共合作(1937年)以降の戦況であるにもかかわらず、中共軍は専ら国民党軍を攻撃することに専念し、日本軍に国民党軍がどこにいるかを
通報しているだけでなく、中共軍は庶民の「便衣服」に着替えて日本軍の中に紛れ込み、複雑な地形の道案内をして国民党軍の深い防御線を突破させている現状も生々しく記録されている。
なお、標記に関してだが、報告者がまちまちであることもあり、国民党軍を「国軍、我軍、本軍」などいう形で書いてあったり、中共軍を「共匪、匪軍、奸党、共軍」と書いてあったりするので、
読者に分かりやすいように、和訳に当たっては「国民党軍」および「中共軍」で統一した。
手書き報告のうち、「敵」は「日本軍」を指し、「偽」は「汪兆銘傀儡政権」を指すので、和訳だけを記した。
文献自身は「國史館臺灣文獻館」にあるので、複雑な手続きを経てそのURLに辿り着いたので、各文献にはリンク先を示す。また( )内に筆者の説明を加筆した。

引用元: ・中華民国幹部「中共軍は日本軍に国民党の居場所を教えたり、日本から資金援助をしてもらっていた」 [194767121]
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