この日は、タレント・野沢直子をゲストに招いた。野沢は、1988年から放送されたフジテレビ系の「夢で逢えたら」でブレーク。90年代以降のお笑い界をけん引し続けることになるダウンタウン、ウッチャンナンチャン、女性モノマネタレントの草分け的存在となった清水ミチコらと、のちのバラエティーに多大な影響を与えた同番組の貴重なとして活躍した。
野沢は当時を回想し「楽屋おもしろい。(共演者の年齢が)同じぐらいだから。クラブ活動ノリがあったからさ。とにかく年上の人がいないっていうね。楽しい感じだった。ワイワイみたいな」と振り返った。
野沢は「特に、私はダウンタウンがすごいっていうか、まっちゃん(松本人志)スゴいと思ってたの。やっぱり、おもしろかったわけ。抜群に。何やってもおもしろくて。コントもおもしろいし、普通にしゃべってる時もおもしろいし、普段もおもしろいわけ」と述懐。
「とにかくスゴい。スゴかった。みんなが、あまりにすごくて。私、本当に舐めててさ。全部。(他のメンバーより先に)テレビに出てたし、知名度もちょっと高いみたいなとこあったから。でも、もう途中から(メンバーの)足を引っ張っちゃいけないっていうか。どこが自分で、おもしろかったんだっけ?って分かんなくなっちゃった」と、松本を筆頭に他メンバーの才能に圧倒されていたことを明かした。
野沢は「それを考え出したら他の番組に行ってもそれを考えるようになっちゃって。(自分は)ダメだぞって思うようになっちゃって。でも、後から聞いたらみんなそう思ってて。まっちゃんは分かんないけど…」と述懐。
さらに「『夢で逢えたら』きっかけで、『私、ダメだ、ダメだ』って思い始めちゃって。それは、きっと下積みもなく急に売れたからだと思い始めて。私には全然、引き出しがないみたいな感じでちょっと悩むようになって。で、そういう時はドラマとか見てるとみんなニューヨーク行くからニューヨーク行くことにしたわけ。それで『夢で逢えたら』も降りたわけ。途中で」と1991年に日本での芸能活動を休止して渡米した際の心境を明かした。
野沢は「自分の最終回のときに号泣だったんだけど。急に6人から5人になるから、もう1人、誰か入れるかっていう会議を、みんなでしてくれたみたいなんだけど。そのときに、松本さんが『いや、あいつのことだから、もしかしたら気が変わって帰ってくるかもしれないから。誰も入れないで5人でやろう』って言ってたっていうのを聞いて。自分の最終回の時にすごいブスな顔して泣いてる。もう、泣いちゃって、泣いちゃって」と振り返っていた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8849df01af8d57f36cad518cfcb5f847267203d1
引用元: ・【テレビ】野沢直子、「夢で逢えたら」降板時の松本人志の一言に号泣「もしかしたら気が変わって…」 [ネギうどん★]
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