
神戸市垂水区にある兵庫県内最大の前方後円墳「五色塚古墳」の復元整備完了から50年を迎えた。文化財保護を前提に、築造時の再現性にこだわった先駆的なプロジェクトで、「野外博物館」として今も地域に愛される。キャッチフレーズは「垂水に残るミステリアス」。整備後も発掘調査が続いているが、被葬者が特定されていないためだ。(久保田麻依子)
五色塚古墳は、垂水駅から徒歩10分ほどの住宅街にある。開園時間ならば、埴輪(はにわ)に囲まれた墳丘に上り、海風に吹かれながら明石海峡大橋を一望できる。
神戸市文化財課によると、全長は194メートル。埴輪の形状などから4世紀後半の築造と推定されている。
◇ ◇
古墳は、1921(大正10)年に国史跡に指定された。太平洋戦争が始まると、墳丘の松から油を採取したり開墾したりして荒廃。終戦から20年後の65(昭和40)年、地元の要望などを受けて文化財保護委員会(現文化庁)と神戸市が復元工事に取りかかった。
目指したのは、約1600年前とされる築造時の再現。先に着手した前方部では、実際に使われていた葺石(ふきいし)を斜面に並べたが、一部が崩れるなどした。そこで後円部では保存を優先し、土を盛った上で、耐久性に優れた淡路島産の石をあてがった。
復元と並行して進めた調査も、石室のある後円部は保護の観点から全面発掘を避け、放射状に掘り起こす手法を採用した。工事は、10年後の75(昭和50)年8月8日に完了。その後の半世紀の間に14次にわたって発掘調査が行われたが、肝心の謎が解けていない。
被葬者だ。
◇ ◇
「地元の豪族なのか、ヤマト政権から派遣された人物なのか。文献や副葬品が乏しくて、全く分からない」。神戸市文化財課の井上麻子係長が苦笑する。
被葬者につながる史学的、考古学的なヒントが得られていない一方で、地政学的な推測はできるという。
ヤマト政権が勢力を広げていた4世紀後半に、海上交通の要衝に面した台地に築かれたことを踏まえると、有力者が埋葬されたのではないか-。井上係長は「摂津や播磨を見渡しても、古墳の大きさや築造場所は特異的」とする。(以下ソース)
8/19(火) 10:45配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0c785538e4723b94e09c73f5e43a3a0fbc8dbbc
引用元: ・【兵庫】県内最大の前方後円墳「五色塚古墳」 被葬者は謎のまま「地元の豪族なのか、ヤマト政権から派遣された人物なのか」 [樽悶★]
戦国時代の城と同じであちこちに「中心地」があるとかさ
それでも統一と分裂を繰り返していてもおかしくない
コメント