しかし、逆に考えてみてほしい。非難囂々を浴びせられている人に対し、理屈ではなく庇うような発言を一人ですることは、易易とできることではない。その火の粉が、マグマとなって自分自身にも降りかかってくるのは必至だ。まるで新たなターゲットを見つけたかのように、ネット民は「キーッ!お前は被害者の気持ちを考えたことがあるのか!」と、ネット自警団の様相を呈する。だが、当たり前ではないか。さまざまな角度から問題提起し、記事化するのが我々の仕事である。
メディアが作った中居問題
ただし、一方に流されることなく、行き過ぎた報道姿勢には、正面から立ち向かうことも、ジャーナリズムの責務でなければならない。なぜか。それは、行き過ぎたマスメディアの報道によって、誰も救われることがないからだ。
マスメディアの役割とは、ネット世論を必要以上に扇動することでも、ネット自警団のように片側の意見に肩入れし、反論されれば感情的になることでもない。あくまで、平で客観的な立場を保たなければならない。それを踏まえた上で、私は問いかけたいことがある。
マスメディアの一方的な報道によって世間を大きく揺るがせたジャニーズ問題、松本人志氏の問題、中居正広氏の女性トラブル……それらに関する報道姿勢は、本当に正しかったと言えるのだろうか。私の答えは「否」である。
※略
私は、なんでも賞賛するような気持ち悪い報道で埋め尽くすべきだと言いたいわけではない。法に抵触していないケースでも、本当に客観的な取材を尽くした上で「これは問題だ!」となるべきものは、報道するのは当然である。それこそがスクープだからである。
あれほどの罵詈雑言を浴びせられ、芸能界から追放され、今もなお攻撃され、弱っている中居正広氏に対して、さらに追い打ちをかけるような記事を果たして「スクープ」と言えるだろうか。
ジャーナリズムとは、人の粗探しをすることではないはずだ。
(文=沖田臥竜/作家・小説家・クリエイター)
引用元: ・【中居問題】誰にでもできる“断罪”―浅はかな正義の先にある危うさ ジャーナリズムとは人の粗探しをすることではない(沖田臥竜氏) [Anonymous★]
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