2025/08/14/14:23
1945年8月14日深夜から15日未明にかけて、熊谷市は米軍の空襲を受けた。中心市街地は3分の2が焼け、公称で266人が犠牲となった。
終戦の日に行われた焼夷(しょうい)弾による攻撃は、太平洋戦争最後の空襲の一つとされる。80年の節目を迎え、これまで体験をあまり口にしてこなかった被災者が語り始め、当時の状況をしたためた記録も新たに発見。
歴史の教訓を受け継ごうとする若者の取り組みも動き出している。
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引用元: ・母が一喝「見るんじゃない」 遺体を火葬する炎…言葉で表せない臭いも 熊谷空襲80年、重い口を開き始めた被災者「事実を伝え残していかなければ」 歴史の教訓を…若者の取り組みも動き出す
テレビで「戦争を経験した方から話を聴くことが難しくなった」というが
「最新の戦場を経験している人達」が今いるんだからもっと取材してほしい

未発見の人骨が沢山あるらしい
古い記憶って後で書き換えられることが多いから事実かだいぶ怪しいものな
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