小4女児「一睡も出来なかったのは初めて」ぐったり
中央線が全線で運転を再開したのは、日の出直後の14日午前5時25分。場内に帰宅を促す放送が流され、場内で寝ている人を起こして回る警備員の姿もあった。
大屋根リング下のベンチで朝を迎えた川崎市幸区の公務員女性(58)は、「やっと帰れる」と、ホッとした様子で夢洲駅から大阪・難波のホテルへ向かった。
13日朝から夫婦で訪れたが、運行再開を待つ14日午前2時頃に場内で夫とはぐれた。しかし、自身は心臓に持病があり、体調の異変に備えてスマートフォンの電池を温存するため、夫と連絡を取れずじまいだった。給水スポットには行列ができたが、並ぶ体力がなく持参した飲料水のわずかな残りでしのいだ。女性は「多くの人が休める屋内の休憩場所を増やし、コンビニなどを開けてほしかった」と求めた。
大阪府茨木市の小学4年の女児(10)は、祖母(75)と、会場南側の水場「ウォータープラザ」近くのベンチで夜を過ごした。退場できたのは、13日午前10時頃に入場してから約20時間後になった。女児は「水場近くで夜は寒く、おばあちゃんと体をさすりながら過ごした。一睡も出来なかったのは初めて」とぐったりした様子だった。
「災害に準じた対応が必要だった」万博副事務総長
多くの滞留者が出た夜間の会場内では、飲食物を配ったり、スペースを開放したりするパビリオンや施設も目立った。
京都市下京区の歯科医師の男性(71)は、韓国料理店で桃とぶどうのジュースをもらい、ドイツ館ではグミを提供してもらった。「運営者からは何の説明もなく、物資も届かなかったが、パビリオン関係者の善意に救われた。この恩は忘れられない」と感謝していた。
オランダ館は水を配り、午前3時頃まで、少しでも楽しんでもらおうと人気キャラクターのミッフィー像と写真撮影できる機会を設けた。その後も高齢者や子連れ家族らが休めるよう、館内も朝まで開放し続けた。
災害などの有事の際のマニュアルはあるが、今回の対応は現場のスタッフで判断したといい、オランダ館の担当者は「できることを精いっぱいさせてもらった」と話した。
日本国際博覧会協会(万博協会)によると、一部の国内パビリオンには対応を求めたが、自主的に協力した海外パビリオンも複数あったという。万博協会の高科淳・副事務総長は14日午前の記者会見で、「今回は災害に準じた対応が必要だった。多くの関係者に協力いただき、感謝している」と話した。
7割がメトロ利用者…アクセス限られ開幕時から懸念
万博会場は人工島・夢洲にあり、大阪市中心部から直線距離で10キロ余りと近いものの、アクセスルートが限られ、開幕時から災害時などの孤立が懸念されていた。
主な鉄道会社の対応
島外とつなぐ主な交通手段は、大阪メトロ中央線とJR桜島駅までのシャトルバスの2種。うち大阪メトロが来場者の7割を運んでいる。
大阪メトロは今回、全線運休した約40分後には、夢洲対岸の中央線コスモスクエア駅までの運行を再開し、その先の路線も終夜運行する対応を取った。ただし、市中心部に戻るには大きく 迂回うかい しなければならず、遠方に住む人が帰宅するのは困難な状況だった。
読売新聞 2025/08/14 15:00
https://www.yomiuri.co.jp/expo2025/20250814-OYT1T50083/
引用元: ・万博足止め、パビリオンで即席ミッフィー撮影会や飲食提供・館内開放…来場者「この恩は忘れない」 [蚤の市★]
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