
シンガー・ソングライター、EPO(65)がデビュー45周年の記念コンサートを9月、東京と大阪で開く。大ヒット曲「DOWN TOWN」「土曜の夜はパラダイス」「う、ふ、ふ、ふ、」はもちろん、自身の心をより正直につづった近年の楽曲まで、45年の歩みを網羅する内容となりそうだ。
本当は苦しかった
EPOは大学在学中からセッションボーカリストとして、大滝詠一、竹内まりやらの作品に参加。昭和55年3月にシュガー・ベイブの「DOWN TOWN」のカバーでデビューを果たした。
明るく、前向きで力強い歌声と楽曲。50年代後半の世相ともマッチしたのか、化粧品のCMソング「う、ふ、ふ、ふ、」や大人気バラエティー番組「オレたちひょうきん族」のエンディングテーマ「土曜の夜はパラダイス」などの大ヒットを放ち、EPOは一躍人気者となった。
だが、そんな20代を振り返り、「苦しんでいた」と明かす。
「『う、ふ、ふ、ふ、』を歌っていると悲しくなった。自分は元気じゃないのに元気な歌を歌わなくてはいけなかったから。葛藤があった」
EPOは令和元年に「婦人公論」のインタビューで、母親から虐待されていたことを明かした。娘を支配しようとするかのような異常な行動が、デビュー後も続いたという。
ストレスからカウンセリングを受けながら、どうにか事態に対処できるようになり、やがて自身もセラピストの資格をとるに至る。
「心理学の先生に出会い、自分の思考が母の影響のもとにあることを知った。そこから抜け出し本当の自分になる作業を始め、これがいまだに続いています」
自分活動
45年を振り返り、「音楽に一生懸命というわけじゃなかった」と笑う。音楽で忙しかった20代に比べると、その後は芸能の表舞台からは遠のいたといっていい。「EPOは引退した」と言われることもあった。
「いや、歌っていましたよ。ただ30歳を過ぎてからは、自分らしく生きることの方を一生懸命やった。心の整理、ヒーリングやカウンセリングの勉強。そういう意味では大変有意義な45年だったとは言えます」
現在、沖縄で暮らし、畑を耕し、海で泳ぎ、料理を楽しんでいる。そんな日々を「自分活動」と呼ぶ。今は、その自分活動の中から音楽が生まれるのだという。
「不思議なのですが、夫の両親と過ごしているだけで何曲もできた。今の年齢だからできる歌が自分活動の中から生まれている。芸能界の人気者でいるだけのために一生をささげていたら、そんな歌は生まれてこなかった」
20代の頃、自分が歌いたい歌を作ると「それでは売れない」とレコード会社から却下された。ヒットメーカーの宿命だが、今は歌いたい歌を作れるようになった。
「私は私でいいんだと自分を肯定できたら、『う、ふ、ふ、ふ、』も『DOWN TOWN』も、皆が喜んでくれることは私にもうれしいことなのだと、何の抵抗もなく歌えるようになりました」とすがすがしい表情で語る。
命のお祝い
(略)
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引用元: ・【音楽】「『う、ふ、ふ、ふ、』を歌うのが苦しいときもあった」EPO、デビュー45年を語る [少考さん★]
なぜ?
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はぁ~ はぁ~
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