名阪国道が高速道路として建設されなかった事情は複雑で、もはや「めぐり合わせ」としか言いようがない。
まず、名古屋圏と関西を結ぶ「名神高速道路」が、四日市・奈良まわりではなく岐阜県・関ケ原まわりで開通(1965年)してしまったことに始まる。
四日市市は1959年に第1コンビナートが稼働を開始し、一帯の工業地帯化と、大阪方面へのトラックやトレーラーの激増は目に見えていた。これを見越して、日本道路公団(現在の「NEXCO」の前身。以降:「公団」)は名神高速の建設と並行して、大阪~四日市間の有料道路「大四道路」の調査を1961年に開始。
しかし奈良県が「有料化では利用しづらい。奈良県内は無料化を」と異論をはさんだことで、「有料・無料」をめぐって議論が紛糾する。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/0bb786bbe9ac8aab5d8007041ec14c39f183d519
引用元: ・【死を覚悟する自動車専用道】「あの道路ヤバい!」と関西・三重界隈が震撼…?事故発生率ナンバーワン”の自動車道「名阪国道」は、なぜ高速道路ではないのか?
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